太宰治 「津軽」 を旅する  その2    五所川原

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   津軽鉄道  五所川原  1984年



「岩木川に沿うて五所川原という町が在る。(中略) 善く言えば、活気のある町であり、悪く言えば、

さわがしい町である。農村の匂いは無く、都会特有の、あの孤独の戦慄がこれくらいの小さな町にも

既に幽かに忍びいっている模様である。」

  太宰治「津軽」より



太宰が津軽を旅したのは、昭和19年という抜き差しならぬ時代で、描かれているような

自由な旅が出来たのが不思議な位だが、半島北部については「国防上の理由により詳述

を控える」というようなくだりがあるあたり、時代を感じさせる。


この小説は、富とは縁が薄い土地柄にあって、名家の御曹司として生まれた彼が背負った業と、

その使用人であり育ての親でもあった女性への思慕が絡み合うように底を流れているのだが、

半島北部の「小泊」に住む女性と30年振りの再会を果たすべく、津軽鉄道で北上するのが

クライマックスになっている。朝8時の汽車で五所川原を立ち、終点の津軽中里に9時に着く

とあるから、当時の蒸気列車故、今より少し時間が掛かったようだ。


五所川原は、太宰も言う通り津軽平野の中心とも言える町で、特に撮影に適した場所は無かったので

素通りしてしまう事が多かったものの、ホームを埋め尽くす通勤通学ラッシュアワーは都会並みだった。

五能線の客車列車から吐き出され、大勢の乗客が津軽鉄道に乗り換える様は、まだ地域に必要とされて

いる鉄道を感じたもの。


津軽鉄道の大きく広いホームからは、太宰の時代の活況と喧噪も伝わる。




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  五所川原  五能線ホーム   1984年


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   五所川原  津軽鉄道ホーム   1984年



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五所川原駅

風太郎さま

此処では、最初の訪問の際に車両しか撮っておらず。
なかなか味がある津鉄のホームが良い感じ!
[ 2013/01/05 10:49 ] [ 編集 ]

五所川原

狂電関人 さま

私もこの数カット以外はほとんど撮っていません。

やっぱり通過点でしたね。

津鉄の駅舎とかもっと撮っておけば・・・

あっまだ撮れるかな。
[ 2013/01/05 11:02 ] [ 編集 ]

こんにちは

大学時代の後輩に「自称 五所川原の神童」の女の子がいました(笑)
卒業後も北海道に住み続けいているようですがもう年賀状のやり取りもしてません

お写真 年代を見たら後輩は思春期の初めのころで
写ってる子どもよりずっと年上
それでも つい 他にもこの中に知った顔があるかもと目を凝らしてしまいました

恥も怖れもしらずついこちらに顔を出してしまっている未熟な私ですが
いつもいろいろと学ばせていただいております
今年もどうぞよろしくお願いいたします


[ 2013/01/05 17:18 ] [ 編集 ]

五所川原の神童

こんばんは。

そうですか。でも五所川原は大きい町なのです。
現在人口6万人、町村合併で肥大化する前でも数万人は
間違いないと思います。

その中で神童ですから素晴らしい後輩だったと思いますが、
ちょっとやそっとでは写真に写らないと思います(^^;

こちらこそ本年もよろしくお願いいたします。
[ 2013/01/05 19:47 ] [ 編集 ]

とても貴重な写真ですね。
北の国の厳しい冬の情景をひしひしと感じますね。


太宰が旅したのは、戦争末期ですね。
そのころ太宰は何歳ぐらいだったのでしょうね。
徴兵もされず旅ができたとは、不思議な気がしますね。

太宰の小説はどれを読んでも、読んでいてどうにも最後まで読む気がしない、何とも薄気味の悪い文だと思ったものです。
[ 2013/01/05 23:46 ] [ 編集 ]

太宰

流れ雲さま

こんばんは。コメント有難うございます。

太宰はこの時36歳だそうです。
徴兵されずに済んだのは彼自身が病弱だったからではないかと。

私も彼の多くを知る訳でもなく、熱狂的なファンもいるなかで、
つらつら書くのは冷や汗ものな所もあるのですが、
津軽鉄道繋がりに免じて頂こうというところです。

この「津軽」は基本的には肩の力が抜けた楽しさがあり、
異色な作品と言われているようです。

大した意図も無く撮り散らしたような写真ですが、ご笑覧下さい。
[ 2013/01/06 00:25 ] [ 編集 ]

風太郎様

五所川原
五能線ホームのお写真の人々が一際印象に残ります
頭に防寒用のものを被っている人が多いですね
約30年前の撮影になりますね
私はまだ生まれていないので
母の30年前頃のアルバムを見直してみました
着ているものが まるで違います
寒さのせいだけでは ないようです
この時代は 東京と青森ではファッションにも
大きな違いがあったのでしょうね
今では 東京と青森とのその点の違いは殆どないと思われます

[ 2013/08/07 19:27 ] [ 編集 ]

防寒ファッション

りら さま

頭の覆い、スカーフというには薄過ぎますし、ショール?
名称はよく分かりませんが、雪国の中年以上の女性の典型的なファッションでした。
いや、ファッションというより寒さや強風を避けるための防寒具そのものだったように思います。
雪国以外ではほとんど見ませんね。

若い子はフード付きのジャンバーなど全然違う服装なのですが、
やはり高齢になるにつれ、昔からの伝統を手放せないのかと思います。
今は。。。そうですね、絶滅しつつある服装と思います。
[ 2013/08/07 22:19 ] [ 編集 ]

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