風太郎の「餘部」

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  山陰本線  餘部   1990年


言わずと知れた鉄橋である。

鉄道写真としてこの鉄橋を捉えた場合、思い入れ多い御仁は山ほど居るだろうし、数ある名作が撮られている中

で、今更風太郎が駄作の山を作っても到底追いつけない訳で、正直なところ食指が動く対象では無かった。


風太郎が興味を持ったのは、実は「鉄橋の下」である。山と海に挟まれてのどかに佇む餘部の集落を歩くと、

路地の向こう、家々の軒先に必ず鉄橋が見える。

巨大な鉄の構造物と、昔ながらの静かな浜の生活のコントラストは、上を走る列車よりもインパクトがあったのだ。

完成以来100年、鉄橋と共に歳月を重ねたこの土地の「橋とムラの物語」が撮れないか、と思ったのは学生生活

も終わり真近な頃。


その頃撮ったろくでもない習作が何点か残っているが(下)、結局社会人になって自由が利かなくなると構想が

全然進展しなくなった。また列車通過中は話もできないという騒音や、氷の塊、果ては自殺者の落下という危険

に常に晒されていた事を知り、最後にあの「みやび」転落事故が起きるに及んで、メルヘンチックに捉えようとした

自分の甘さに直面し、いつしか雲散してしまった。


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功罪共にあったと言わざるを得ない「餘部」は、しかし最後まで圧倒的な存在感を示していた。

風太郎にとっては重く、越えられない壁だったし、今も心残りがある場所だ。


HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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餘部は

風太郎さま

20回ほど通いましたが、結局不完全燃焼のまま
鉄橋はなくなってしまいました。
この鉄橋は、大きさ通り偉大すぎました。
[ 2011/11/18 07:25 ] [ 編集 ]

惚れ直し

狂電関人さま

餘部の大御所でいらした狂電関人さまですら不完全燃焼とは・・・。

確かに鉄道風景として空前絶後の存在だったと思います。

無くなってから惚れ直すというクセも困りものですが。
[ 2011/11/18 21:53 ] [ 編集 ]

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