開放デッキ

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   五能線 オハフ61 デッキ   1982年



現代の鉄道車両では仰天ものだが、いわゆる旧型客車は走行中ドアを施錠する仕組みが無く、

開け放したまま平気で走っていた。真夏の暑い日などは吹き込む風が心地良く、リズミカル

な走行音が真近に聞えて、客車の旅の楽しさでもあった。

保安上問題がある事は当然なのだが、「落ちる方が悪い」と言い切っていた時代の名残りな

のだろう。


なかには悪乗りする奴も居て、危険な遊びも目にした事がある。

五能線は海岸線の地形を忠実にトレースして走るので小さなカーブが多い。デッキで中学生位

の地元少年が盛り上がっているので何かと思えば、ひとりの少年が手すりを掴んで車外に身を

乗り出している。カーブの内側に入ると連結面がググッと狭まるため、片手片足が隣の車両の

手すりとデッキに掛かるのだ。タイミングを見計らって気合いもろとも隣の車両に乗り移る。

車掌あたりに見つかれば大目玉だろうが、開いた口が塞がらなかったもの。


JR線上に保存された旧客は、走行中は施錠する装置が付いていて開かないようになっていると聞く。

「遊び」は論外としても、やっぱり開け放したデッキの外を流れる風や音、匂いたつような草いきれ

が恋しい風太郎である。




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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2013/05/17 23:42 ] 昔の旅 五能線 | TB(0) | CM(12)

こんばんは。

コンプレッサを持てない客車にドアエンジンの発想はなかったでしょうね。
空気バネ供給用にそれを装備していた20系固定編成客車ですら、乗降扉の開閉は手動でした。
さすがに走行中の鎖錠装置は在りましたが、列車ボーイが閉め忘れたりすれば、そのままです。
幾度か開けっ放しで走り去る特急を見たことがあります。

札幌での汽車通時代、混雑からデッキにぶら下がっての乗車は当たり前でした。
鉄道側も黙認。そんな時代です。
[ 2013/05/18 00:32 ] [ 編集 ]

ぶら下がり乗車

Wonder+Graphics さま

終戦直後の買い出し列車ならともかく、デッキぶら下がり通学、凄いお話ですね。

デッキからはみ出すほどの乗客が居たという事ですね。隔世の感があります。

ところで、夏はぶら下がりで良しとして冬になったらどう乗車したのか、興味ありますねえ。
[ 2013/05/18 01:06 ] [ 編集 ]

追伸させていただきます。

冬はさすがに寒いものですから、皆客車車内に入りたがるのです。
それで、デッキも空いてドアが閉められた次第です。
ご存知のとおり、ドアを閉めてもデッキには粉雪の吹き込む程でしたから。

このぶら下がり乗車の経験は、同じ世代でも電車区間しか知らぬ者と列車区間しか
知らぬ者とで決定的に差が出るのです。地方の客車での通勤通学者には日常でありました。
[ 2013/05/18 02:19 ] [ 編集 ]

冬の通学

Wonder+Graphics さま

追伸有難うございます。

一応、寒い時は車内に収まるスペースはあったという事ですね。

昭和40年代初め位の通学輸送最盛期の写真を見ると、

北海道の原野の仮乗降場まで高校生で溢れていて驚かされます。

それもまた、鉄道が担った時代の風景ですね。

[ 2013/05/18 09:43 ] [ 編集 ]

あの時代は何にしろ大らかでしたね。今の様な敷地内に入ると警察沙汰になることもありませんでした。ま、日本人のモラルがあの頃よりも非常に低下している現状を見れば致し方ないのかもしれませんが・・・

あの頃の旧型客車の旅。もう一度味わいたい物です・・・
[ 2013/05/18 11:07 ] [ 編集 ]

節度

mackさま

いや「デッキ遊び」はさすがに当時でも見つかれば怒られたと思います(^^;

ただ仮に事故が起きたとして、それを決して鉄道の責任に転嫁しないような
当然の節度(モラルよりこっちがしっくり来ます)が、当時はまだあったように思うのです。

その節度があったからこそ暗黙の許容が存在し、世の中にもっと潤いがあったのではないでしょうか。

「とりあえず何でも企業側・規制側に責任転嫁する。自己責任意識極少(利用者側)」

「とりあえず何でも規制して万一の責任回避に血道を上げる(企業・規制側)」

不毛な応酬がいかに世の中を殺伐とさせ、その自覚も無いまま檻に閉じ込められた子羊を量産しているか。

大らかで大人だった時代の一端を知る者として、沈黙していられないところがあります。

[ 2013/05/18 12:31 ] [ 編集 ]

思い出

旧客が無くなる直前、山線の夜行上り(42レ?)でこれが最後だと思って、思いっきりデッキから身を乗り出して、月を眺めました。上目名の付近だったと思いますが、それは爽快でした。今では窓も開けられなくなって、その土地の空気さえ吸えないのは旅人にとって不幸です。
もっとも、年末でデッキのドアが閉められないくらいに混んでいて、恐ろしい思いをしたこともあり、思い出は悲喜こもごもです。
[ 2013/05/18 17:38 ] [ 編集 ]

おっ、

風太郎さま

これは岩館ですね!

今も昔も、イタヅラガキは居ますね。

やつらは時にとんでもないことをしでかしますね(怖)
[ 2013/05/18 21:01 ] [ 編集 ]

五感の旅

北マト さま

こんばんは。

貴重な旅の思い出を有難うございます。

車両にしても廃止路線にしても、乱痴気騒ぎを避けて一人別れを告げたい思いはあって、

私も幾度となく、そんな思い出がありますので、胸に沁みます。

昔の鉄道は音が響いて、風が吹いて、匂いが漂って、五感の記憶に刻まれる旅が出来ましたね。

ただ快適で予定調和な旅ばかりが楽しい訳では無いと、もっと大勢の人が気付けばと思います。

[ 2013/05/18 22:59 ] [ 編集 ]

岩館ですかね

狂電関人 さま

こういう写真は本当に徒然で、ココは何処、などと云うのは全く考えずに撮っていますので。

何処かの築堤上では、と思っていたのですが、岩館の鉄橋ですかね。

防波堤の位置や、海までの距離があるので違うような気もしますが。
[ 2013/05/18 23:10 ] [ 編集 ]

そうそう、この感じ…、

まさに旧型客車の旅の醍醐味でした。
毎度、繰り返しますが、こういった風景にカメラを向けなかったことが今さらのように悔やまれます。
扉が開放状態での走行の思い出と言えば、1973年、中学1年の時、この夏、復活した小海線のC56を撮影した帰途、小淵沢から乗り合わせた臨時急行「たてしな」が旧型客車編成で、夏の繁忙期と重なって、客室に入れなかった私はデッキの段差に座って、八王子まで揺られました。
扉は開放のまま、しかも複線の下り線側だったので、通過列車の風圧に耐えながらでした。
しまいには疲れでウトウトし始めて…。
今思うと、冷や冷やものですが、当時、これはこれで楽しんでいたようです。
現代社会に置き換えると確かに旧型客車の扉、安全性云々と叩かれてしまいそうですが、国鉄時代にはサービスを提供する側、利用する側の間でお互いにそのあたりを阿吽で理解していたように思われます。
「暗黙の許容」が崩壊しつつある今の世の中、危険と見なされば立入り禁止にしたり、やたらと注意を喚起する立て札やアナウンスが繰り返され、TVやネットへは「但し書き」が氾濫して、なんとも、まぁ、個人の自由度が制限されて息苦しいとさえ思います。
オッサンは時代の流れに従うしかないのでしょうかね!?
[ 2013/05/19 14:28 ] [ 編集 ]

体験すること

32Count さま

私が旧客に乗るような旅を始めたのは1980年代以降ですので、それ程混んだ
列車というのは経験がありません。せいぜい夏の北海道の夜行急行位でしょうか。

通過列車の風圧に晒されつつ、というのも怖いような、でもやってみたいような
貴重な体験ではありますね。
巷に溢れるバーチャル情報では無く、肌身に感じる体験が出来たのは幸せな事
だったのだろうと思います。

「暗黙の許容」の件、やはり自由である事と、自己責任(責任を全うする覚悟)
は一体だと思うのです。

他人から押し付けられ、説教されて分かる責任ではなく、持つべき責任を自分で
意識し自覚する事、許容不許容の空気を察知する事、自分の身は自分で守る工夫も含めて。

それらはやはり大人の所作だと思いますし、鍛えられるプロセスが必要なように思います。

規制だらけ、説教だらけではそんなプロセスを踏む事も出来ません。大人たちの側の
事なかれ主義も問題なのですが、若い人達には、自己責任に思いを巡らす「体験」を
重ねてもらいたいと思います。

我々自身がそこに学んだように。


[ 2013/05/19 15:33 ] [ 編集 ]

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