最北端のホーム

wakkanaihome11988b.jpg
   宗谷本線  稚内   1988年



稚内駅のホームは、端正な木組みで作られた長大な上屋があって、長い旅を終えた急行「利尻」などの

優等列車を、北限の終着駅に相応しい重厚な構えで迎えていた。

この地の厳しい風雪と長大に過ぎるホームは、さすがに除雪の手も回らないと見え、寝ぼけ眼でステップ

から降りると、そこはつるりと転びそうに凍てついていた。

「わっかない」の琺瑯駅名標、丸い国鉄型時計。

「遥けくも来つるものかな」という最果ての旅の感傷を噛みしめる様な、改札口までの長い道のり。


日頃お邪魔しているWonder+Graphicsさんのブログは、古今の北海道の鉄道を確かなカメラアイと技術で

くまなく網羅しており、その博識と相まっていつも驚嘆しているのだが、「稚内 1985」の記事中、この駅が

大きく改築され、ホームは棒線化、片流れの安手な屋根に替えられた、という事実を知り愕然とする。


再開発ビル化等、事業としての生き残りを賭けた鉄道の変質は避けられないのかも知れないが、

「汽車の時代」がまたひとつ消えていく寂しさは否めない。



HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright(C)2011  FUTARO1980. All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

風太郎様

ホームには屋根があります
それでも ホームには雪があり
その雪は氷となっています
列車の下には氷柱さえ見えます
ホームの立つ方
鉄道員 その言葉の持つ意味
深く 考える機会を与えて頂きました
結局 昔のままの風情で外観が 再建されるのは東京駅丸の内駅舎のような 
首都の顔のような 駅でしかないのでしょうか
それを思うと 私が撮影した 丸の内駅舎など
写真の内ではないかのように思えます

[ 2013/06/14 22:52 ] [ 編集 ]

用の美 歴史の足音

香月 りら さま

鉄道の駅は、東京駅のように意匠を凝らしたものはむしろ少なく、
そのほとんどはその土地ごとの風土に対応した地味な建築物の集合です。

稚内のような上屋はこの当時各地に残っていました。
何の飾りもありませんが、実用に徹した中に「用の美」のようなものを感じるのです。

また歴史を宿しています。このホームの先は北の海に落ちる岸壁で、そこからは戦前、
日本の領土だった「樺太」への船が出港していたのです。

軍人、開拓民、北辺に一攫千金を夢見る山師などが大勢行き交ったようです。
そんな忙しない足音が聞えて来ませんか。


今はすぐに過去になってしまいます。対象が何であれ今在るものを撮り続ける事は
無意味では無いと思います。

バラのお写真、花だけでは無く様々な背景があるとドラマが生まれますね。
りらさんのマジックを楽しみに見させていただいています。
[ 2013/06/14 23:17 ] [ 編集 ]

こんばんは。
古いものを残すか新しいものにするかは難しい問題ですね。。
古いものを残すということも大切ですが、時代の流れには逆らえないので、新しいものにすることも反対ではありません。
新しくした例としてよく知られるところは京都駅がありますが、当時は相当叩かれましたが、今では新しくして成功した例だといわれています。
京都駅のよかったところは、いろんな意味ですべてをさらけ出したオープンスペースであるということかと思います。
昔の駅舎にもそういうところがあるのかと。
駅ビルのような閉じたところは最初の話題性だけで、その後は発展しないでしょう。
新しくするにしても、そういうところ大事にしてほしいなと思います。

[ 2013/06/14 23:20 ] [ 編集 ]

パブリックスペース

いろもりカラスさま

こんばんは。

かつての鉄道駅、特に国鉄駅はパプリックスペースであることに特徴がありました。
それは経営の多くを税金が支えている事から来る、「国民の共有財産」の理念があったからかと。
若い頃の風太郎のような「駅のベンチ泊」の如き悪乗り組に対しても関係者は寛容だったように思います。

国鉄が民間企業化される過程の中で駅は私有財産化され、だんだんクローズなものになって来ましたね。

諸般の事情はあれ、駅が街のパブリックスペースであり、心の拠り所足り得る事は、鉄道の地位を確保し
続ける上でも大事な事と思います。
[ 2013/06/14 23:54 ] [ 編集 ]

稚内ですねえ。
改札をくぐったところに駅弁売りが出ていて、
それは有効長の関係で必ず2番線なのですが、札幌行き<利尻>が長い編成を、
それでも後の自由席車はホームをはみ出して停まり、
盛んにスチームを上げていた光景が一番似合うホームでした。
機関車こそDD51でしたが、忘れ得ぬ景観です。

堂々たる汽車の駅が、軽快な特急列車の駅と化すのも進化と言うのでしょうが、
あのビル裏の電停然とした、それの大型版と云った風情は威厳なさ過ぎです。

飯山ラインの春編、楽しませていただきました。
[ 2013/06/15 00:12 ] [ 編集 ]

稚内駅

Wonder+Graphicsさま

こんばんは。

正直な所、当時の稚内駅の印象は今一つ薄いのです。
駅周辺は立派な都会なので写真になり難く、駅前旅館にどうアタリを付けるか、
あるいはこれから南下する(士別でまた折り返す・・・お分かりですよね。)長い道程をどう過ごすかで
頭が一杯になりながら歩いたホームだからかも知れません。

でもWonder+Graphicsさんのお写真や数少ない自分の写真を見るといい駅だったなと。

新しい駅は・・・見たくないですねえ。
[ 2013/06/15 00:37 ] [ 編集 ]

懐かしい〜(涙)

稚内、
80年代、さい果ての鉄路を求めて、何度となくお世話になりました。
もっとも往路の下車駅と常宿は南稚内だったので、稚内駅はもっぱら札幌に向う「利尻」乗車のための利用が多かったのですが…。
そうですか、
今は棒線化された上にこの重厚な上屋も過去帳入りしたのですね。
もう、20年ほど訪れていないので、まさに「浦島太郎状態」なのでしょうね。
[ 2013/06/15 06:52 ] [ 編集 ]

嗚呼 稚内駅

風太郎さま

高校1年の夏休みにこの駅に降り立っているのですが、
数日目の夜行マルヨの疲れがピークで、友人とも
言いあいの連続。稚内では駅の写真も樺太航路時代の
稚内駅のドーム下に保存されていたC55も撮らずに
観光地の最北端の地に行っただけで終わりました。
勿体ない事をしてしまいました(省)
[ 2013/06/15 09:01 ] [ 編集 ]

変化

32Count さま

道北地方は結構行っているのですが、稚内駅については20年以上行っておらず
変遷の報を聞いて驚きを隠せません。

長編成の優等列車はまだある訳ですし、この駅は多分ずっとこのままだろうと思っていましたから。

宗谷本線の位置づけの変化も思わずにいられません。
[ 2013/06/15 11:09 ] [ 編集 ]

稚内駅前

狂電関人 さま

稚内駅に初めて降りたのは大学2年の時ですが、最果てのイメージとはうらはらに、
立派な都会なのに拍子抜けした思い出もあります。

でも駅前の土産物屋、定食屋、駅前旅館と昭和の観光地の佇まいはしっかりありました。
駅周辺の再開発も絡んでいるそうなので、そういった駅前も含め随分変わってしまったのかなあと。

いずれにしても当時の若者にとって、北の果ては憧れの聖地だったかと思います。
[ 2013/06/15 11:25 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://futaro1980.blog.fc2.com/tb.php/539-b2e36fa7