夕凪

nichinan1take1b.jpg
   日南線  大堂津   1988年




長い夏の日も暮れる頃。

静かに凪いだ海を望む鉄橋に、轍の音が響いて消える。





HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright(C)2011  FUTARO1980. All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村


スポンサーサイト

これは

大堂津の南郷方の鉄橋ですね。
蒸気列車ばかり狙っていて、この時間帯の
ギラギラを撮っていない・・・。
蒸気列車はさらに後、つまり日没後の残照時間に
通過するんでした。あーあ。
もしかして、一般色と旧国鉄色の2連でしょうか?
[ 2013/08/09 23:33 ] [ 編集 ]

大堂津あたり

マイオさま

南郷方の鉄橋だと思います。
例によって記憶が曖昧になっているのですが、油津側と2つ鉄橋がありましたかね。
もう一本は七つ岩と共に撮っています。

いいじゃないですか。蒸気が撮れただけで・・。
何の土地勘も無く、昔のSL写真を見ていいなあと足を運んだだけです。

車両は国鉄色そのままと、小田急のような当時のJR九州色?の2連でした。
JR化後まだ間もない頃ならではの一枚だったかも知れませんね。
[ 2013/08/09 23:49 ] [ 編集 ]

風太郎様

二両の列車の色の違いが印象的です
デザインも違っています
それは この時代 この地に車両が不足して
いたことによるものでしょうか
それがどうであれ 異なる車両が鮮やかな
色の鉄橋を渡る様子は 楽しい景観です
[ 2013/08/10 07:00 ] [ 編集 ]

時代の節目

りらさま

車両不足というより、「時代の節目の風景」と言ったところでしょうか。

りらさんは「国鉄」の時代はあまりご存じ無いかも知れませんが、
今から26年前に行き詰った国鉄が解体され、「役所」による運営から
JRという「民間会社」の運営に変わるという、歴史的な事件がありました。

この写真が撮られたのはそれから僅か1年ちょっと後の事で、
「国鉄」の時代の色と、「JR」の色が混在していたのです。

国鉄時代の様々なムダが消えた代償として、趣味的な魅力は薄れざるを得なく、
風太郎も徐々に鉄道にカメラを向けなくなった頃でもあります。

楽しいというより、おじさんにとっては感慨深い風景なのです。
[ 2013/08/10 10:24 ] [ 編集 ]

卒業後も・・・

風太郎さま

ずいぶんあちこちでかけていたんですね。

電関人は、痛恨の蒲原(村松-賀茂)最終日が
入社直前で断念したのを契機に92年ごろまで
ほぼ休鉄でした。

今、それを取り返すべく(中には取り返せない線区も
たくさんありますが)回復運転に余念がないわけです!
[ 2013/08/10 11:58 ] [ 編集 ]

その後

狂電関人さま

新入社員プレッシャーから解放された後は、年に1~2度、4~5日の行程で遠征してました。
正月休みを全部使って青森往復ドライブを敢行したことも。
それも80年代までですね。

以後全く非鉄でしたが、自然風景など鉄以外にのめり込んだ事が今役に立っているような気もします。

[ 2013/08/10 16:18 ] [ 編集 ]

国鉄は遠くなりにけり


国鉄、と言うより「国鉄改革」なる出来事ですね。遠い昔は。
あまり知られていないかも知れませんが、このキハ40の塗色は、国鉄九州総局色なのです。
当時には、九州総局一般車色と呼ばれていました。
白色3号を基本に窓下への青色20号の帯は、両方とも国鉄制式色です。
勿論、民営会社への承継を前提としたものだったのですが、
最初の塗色変更車は、1986年6月30日に鹿児島車両所を出場したキハ402056(鹿カコ)でした。
それゆえ、これが最後まで残る国鉄色かと。
[ 2013/08/10 16:38 ] [ 編集 ]

最後の国鉄制式色?

Wonder+Graphics さま

えー、そうだったんですか。ギリギリの時期に色を変えたとは。

そうなるとこの塗装は最後の国鉄制式色という事でしょうか。尚更感慨深いものがあります。

大国鉄の塗装は全国共通が当然で、地域限定塗装など当時の私の辞書にはありませんでした。

有難うございました。
[ 2013/08/10 17:52 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://futaro1980.blog.fc2.com/tb.php/567-4f46fa20