余部鉄橋物語

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    「余部鉄橋物語」  新潮社






「余部」に並々ならぬ思い入れを持つ狂電関人さんから借りた「余部鉄橋物語」を読む。

この大鉄橋の生い立ちから終焉までの物語を丹念に取材したノンフィクション。


風浪激しい日本海から至近という立地は当初から懸念され、明治の土木技術者は当時まだ技術的に確立していなかった

「鉄筋コンクリート橋」を推していた、という事実は初耳だったし、その後の宇田郷など見ればあながち間違いでは無かったように思うが、

「役人は前例のない事をするものではない。」という反対も、いかにもではある。


頑迷な前例主義が生んだ大鉄橋は、皮肉にも稀有な鉄道景観をもたらしたが、同時に「錆」との長い長い闘いの歴史も作る事になる。

「橋守」と呼ばれ、この鉄橋下に住んでそのメンテナンスに生涯を捧げた人が居た事も初めて知った。

そして山と海に隔絶された余部の集落に暮らす人にとって、鉄橋は希望であると同時に災いをもたらすものであった事も。

氷塊から自殺者まで降ってくる現実、そして1986年に地元の人をはじめ6人が亡くなったあの「みやび転落事故」。

さまざまな矛盾を抱えながらも、それでもおらが故郷の鉄橋として愛おしむ、「鉄橋と共に生きた村」の物語が胸を打つ。


隔絶された僻地に文明をもたらした鉄道とそれを支えた土木構造物は、いつしか単純な「機能」を離れ、

幾多の人々の魂を宿すものになった事を知らされる。


風太郎は実は大してこの鉄橋を撮っていない。

あまた撮られている名作の後塵を拝するより、鉄橋下の集落に興味があった位だが、

この本を当時読んでいたらもっともっと気合が入っていたろうになあと思う。


以前の再掲ですが。






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   山陰本線  余部    1990年 


HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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風太郎様

余部旧橋梁 調べてみました

ご紹介されている本にも 興味持ち
先程 書店に購入希望の連絡をしたところ
2010年7月に絶版になっているとのことでしたが 
取り寄せ出来るか調べて下さり 月曜日に返事を下さるとのことです
貴重な本をお友達から借りることが出来ましたね
「 持つべきものは友 」の諺
「友を選ばば 書を読みて」の与謝野鉄幹の詩を想いました


お写真の全て・・・
鉄橋と共にある民家
そして暮らしを思わざるをえません
二枚目のお写真
第一パンの看板のある商店
その前を走行する 原チャ「多分」
その先に見える 鉄橋

三枚目のお写真
鉄橋の下
水遊びを楽しみにこれから行くのでしょう
子供たちの姿

四枚目のお写真
鉄橋の真下とも言えるところにある家々
田んぼがあり 農作業をする人

私も風太郎様の撮影当時と同じく
この橋の下にある 集落と人々に興味があります
でも それは単に鉄橋と暮らす人々・・・とは・・・
一括りには出来ないようです

本を手に出来ると良いのですが・・・

お写真 再記載して下さり有難う
拝見していませんでした



[ 2014/07/12 21:49 ] [ 編集 ]

天空

こんばんは。

餘部鉄橋、私も始めてその姿を見たときは感動しました。
集落を跨ぐ巨大な建造物は本当に迫力がありましたよね。
お写真は2枚目、第一パンのが風太郎さま目線でスキです。
夏の昼下がりみたいで・・・ ですよね?

今この鉄橋が存在し、出雲が走っていたら上り列車を高感度撮影していたかも。
天空の橋梁、とにもかくにももっと撮っておけばと後悔しきりです。
[ 2014/07/12 21:52 ] [ 編集 ]

鉄橋直下のムラ

りらさま

それ程古い本では無いのですが、絶版になっていたとは知りませんでした。
興味を持っていただき、書いた甲斐がありました。
この鉄橋について多くを知らなくとも胸に迫るところがあります。入手できるといいですね。

写真は鉄道を撮る事から距離を置き始めた時期で、鉄道というより「鉄橋直下のムラ」を写材に出来ないかと、習作として撮ったものです。

山陰はあまりに遠く、当時なかなか暇も無く、いつしか立ち消えになってしまいました。
無念ではありますが、その息遣いを僅かでも手許に残せたのは幸せだったかと。
[ 2014/07/12 22:45 ] [ 編集 ]

余部の夏

いぬばしり さま

夏休みの年休をやり繰りしての山陰撮影旅行(実はこの時鉄道はほとんど撮っておらず)のひとこまです。
トップライトがいかにも夏らしいですね。

集落に入り込むと、軒先のどこからも鉄橋を見る事が出来ました。
「第一パン」は撮りたかったイメージそのものだったので、そう言っていただけると嬉しいです。

デジタルがあれば・・・また夢のような大鉄橋が表現できたでしょうね。
[ 2014/07/12 22:55 ] [ 編集 ]

風太郎さん こんばんは~♪

餘部鉄橋は主人は社員旅行で行ってます。
主人は鉄橋の写真だけ携帯で撮ってました。
カメラに興味ない人なので(笑)

パン屋さんの写真。
味わい深くて風情がありますね。
タイムスリップして違う時代ですよね。
こういう建物の維持管理は大変だろうけど・・・
残してほしいですね。
[ 2014/07/13 00:53 ] [ 編集 ]

風の谷

ケイコさま

彼の地は風が通り抜ける様な地形になっているせいか、
風の日の凄まじさはドラムカンが自然に転がりだす程だそうです。
そんな中で客車7両が一気に鉄橋下に転落するという惨事が起きたのですが。

鉄橋も民家も日本海の海水に漬かったような状態になっている訳で、
その維持管理の苦労は大変なものと思われます。
「第一パン」もそんな風土に合った構造になっているのではと思いますが、
移ろう時代のなかでどうなっているんでしょうかね。
新しい橋と共にまた訪ねたいとは思っているのですが。
[ 2014/07/13 09:11 ] [ 編集 ]

こんにちは

そこにすんでいるひとのこと
それをいつもいつも強く思いますし
その良さを愛する人のことも考えに入れなくてはならないし
この鉄橋、象徴のように思えて ときどき思いの底に深ーく沈むことがあります

あまるべ 当時の姿をいちどもみることはなかったですけれど
今の姿を見てみたいなと ふと思いました
 
[ 2014/07/13 18:01 ] [ 編集 ]

余部の想い

犠牲となる人と受益する人が一致しない事は、様々な公共事業にありがちですが、余部もその一つだったようです。
鉄橋そのものは100年の歴史を重ねながら、「余部駅」が出来るまでに47年掛かったとか。

41mの高さの鉄橋を渡り、トンネルまでくぐって最寄駅まで歩かされる理不尽に耐えつつ、
余部駅建設の際には、地元の子供までが頼まれもしない石運びをして手伝ったというエピソードに泣かされます。

この地に暮らす人々の、忍耐強く優しい心根が鉄橋を100年間支えていたのでしょう。
鉄製の構造物はやがて朽ち、鉄道の位置付けも変わっていきますが、この地に宿った情念の歴史は語り継がれなければと思いますね。

[ 2014/07/13 19:16 ] [ 編集 ]

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