DISCOVER  JAPAN  ①

ディスカバージャパンパンフb







東京ステーションギャラリーの企画展、「ディスカバー、ディスカバー・ジャパン」を見にいく。


「DISCOVER JAPAN」は、1970年から76年にかけて展開された、当時の国鉄の一大観光キャンペーンである。

絵葉書的な観光地の写真をストレートに見せるだけが定番中の定番だった時代、

場所も分からないところに遊ぶ女性モデルをキーとした極めて抽象的なイメージのビジュアル表現は、

当時としてはセンセーショナルな話題を呼んだ。




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図録より



風太郎も年齢的にはリアルに接した世代とも言えるが、いかんせん幼な過ぎ、

「良く分からないポスターが駅に貼ってあった」程度の記憶しかない。

その全貌を知る事になったのは、長じて少しばかりプロモーションの世界に関わる事になり、

その参考になるかと、このキャンペーンを取り仕切った電通の名物プロデューサーによる、

回顧録的な一冊を手にしてからである。



ディスカバージャパン本b
「ディスカバー・ジャパン」  藤岡和賀夫著   PHP研究所刊




1970年、企画端緒の頃のやりとりが興味深い。

「今はクルマもあるし、飛行機もある。もう列車で旅行なんかしないんですよ。」と嘆く国鉄幹部に対する答えは、

「国鉄のライバルはクルマでも飛行機でもないですね。ライバルは、テレビでしょう。」


既にテレビの旅番組で誰もが「旅」をバーチャルに体験出来るようになっていた。

バーチャルで満足してしまうから人は旅に出ないんですよ、という視点が、このキャンペーンの始まりだったようだ。





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図録より




風太郎が最も気に入っているポスター。

古寺の本堂とおぼしき畳敷きの大広間の真ん中に、ひとり正座する女性。コピーは「目を閉じて・・・何を見よう。」

当時、観光ポスターにモデルを使用することなど皆無だったという。主役はあくまで風景というか、目的地。

しかしこの広告には肝心な目的地が情報として何もなく、一人の人間のみ。

旅の理由を目的地では無く、内なる心という自分自身に転化させてはどうか。それがこの広告の意図であったに違いない。

ただお仕着せの観光地を視覚的に見るだけならテレビで足りる。

しかし自らの心の揺らぎを見つめるような旅はバーチャルでは体験できない。敢えて、目を閉じよ。




discover_005b.jpg
図録より


「モーレツからビューティフルへ。」 時代の空気を伝えるものとして富士ゼロックスの有名な広告も会場に展示されていた。

大阪万博の熱狂が宴の後となった頃。何かの虚無感が忍び寄った時代。

高度成長の最末期に、「DISCOVER JAPAN」は「旅の目的の転換」を世に問うたのだと思う。


しかし当時のお堅い国鉄が良くこんな尖鋭的な企画を通したものと驚くが、

実際全国津々浦々に展開する中で様々な不協和音も生じたらしい。

駅に貼らされるポスターの意図は「田舎の駅長さん」にとって理解の限度を超え、

一体上層部は何を考えているのかと、ちっとも盛り上がらなかったとか。

これを救ったのが「スタンプ」だった。



スタンプb2
風太郎13歳、駅長さんに手紙を書いて入場券を送ってもらったら、スタンプが付いてきた。



全国1400駅という途方もない規模で設置された「スタンプ」は、各駅ごとの風物史跡をデザインしたオリジナルだったし、

これを押したがる観光客も多かったろうから、駅長さん達にも一気に参加意識が芽生えたという話も、少しニヤリである。

風太郎が旅した1980年代、このキャンペーンは既に終了していたが、まだあちこちにこのスタンプと専用台は残っていたと記憶している。


前説が長くなって肝心な展示の話に入れない。それはまた次回。



HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2014/10/22 22:37 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(10)

実は、

風太郎さま

行かれましたか。
電関人も・・・と思いながら、つい東京駅が通過駅で
なくなり。
この広告が、電関人をしてギョーカイに行きたいと
思った一番のきっかけなんです。。。
DISCOVER JAPANのスタンプは電関人が
足しげく通った頃まだ山陰の駅には比較的多く残って
いました。
[ 2014/10/23 09:16 ] [ 編集 ]

鄙びた駅舎の洒落たポスター

風太郎さま、こんばんは。
小生は「DISCOVER JAPAN」の時代に中学~大学生でしたから、よく覚えています。ローカル線を旅すると否応なく駅でまどろむ時間ができます。そんな時、このポスターがありました。それも津々浦々に。古びた木造駅舎と垢抜けたポスターの対比が不思議でした。サブタイトルは「美しい日本と私」だったでしょうか。我が家にも、何処で手に入れたのか、専用スタンプ帳が数冊あります。キャンペーンの一環で永禄輔の「遠くへ行きたい」というTV番組もやっていて、「一人旅」という言葉もこのころからだったような。ラジオをつければ、山本コウタローの「岬めぐり」や赤い鳥の「翼をください」なんかが流れ、北海道には「カニ族」が出現しました。そんな時代でした。
小生は、それより少し前に、某放送局の「新日本紀行」という番組に触発されて旅を始めました。今も冨田勲のテーマ曲を聴くとスイッチが入ります。既にこの時は休日撮影放浪者になっていましたので、このポスターを写真作品として眺めていました。続編を楽しみにしています。
[ 2014/10/23 22:14 ] [ 編集 ]

ちょうど現役蒸気の終焉期と重なっていた「DISCOVER JAPAN」のキャンペーン。
蒸気撮影だけを目的としていたため、駅スタンプは当時持ち歩いていたSLダイヤ情報やありあわせの紙に押していただけでした。
入場券は経費節約のため買うこともできず、今となってはそのかすれたDISCOVER JAPANのスタンプだけが当時の懐かしい記念です。
[ 2014/10/23 23:17 ] [ 編集 ]

広告ギョーカイ

狂電関人 さま

確か同世代ながら、この広告に触発されてギョーカイを選んだとは、随分オマセな事で。
やはり幼い頃からカメラに親しんでいたからでしょうか。
風太郎の場合は幼いというより、写真表現に目覚めるのが随分遅かったですからねえ。

もう暫くやってますから、良く拝んで仕事のテンションを上げてみては。
[ 2014/10/23 23:41 ] [ 編集 ]

カオスの場

こあらま さま

だらだら長い文章にお付き合いいただき、有難うございます。

「新日本紀行」に「遠くへ行きたい」、カニ族にSLブームにフォーク集会ですか。
「その後」の世代としては、学生運動のバリケードなんぞも含めて、
そんなカオスの場に自分の青春を重ねてみたかった、という永遠の憧れですね。
何か、若いモンのエネルギーのたぎりが聞こえて来るようじゃないですか。
[ 2014/10/23 23:50 ] [ 編集 ]

傍らのポスター

高辻烏丸さま

残念ながら風太郎は間に合いませんでしたが、現役SLを追った世代の傍らには、
これらのポスターがいつもあったのでしょうね。

会場で流されていた当時のTVCMにも現役蒸気が牽く列車が当たり前のように登場します。
やたらファッショナブルな女性モデルとの絡みがシュ
ールな事。

かすれたスタンプもまた、当時の息遣いを伝えるのでしょうね。
[ 2014/10/24 00:00 ] [ 編集 ]

風太郎 様

三日間 拝読させて頂きました
そして 時代の流れが 掌握できてきましたので コメントさせて頂きますね

私は東京ステーションギャラリー 自体がとても好きです
館内丸の内駅舎建設当時の煉瓦を使用しています
当時の煉瓦の風合いが好きです
写真を撮る以前より 建築物に興味があり 
東京駅丸の内駅舎で使用された 煉瓦を製造した煉瓦工場を探して埼玉まで行きました

そこで開催された
「ディスカバー、ディスカバー・ジャパン」
鑑賞されたのですね

記事 興味深く 拝読しました
私の知らなった・・・
キャッチコピー等
色々と知ることが出来ました

風太郎13歳
駅長さんに手紙を書いて入場券を送ってもらったら
スタンプが付いてきた

この一文と今も大事に保管されている風太郎様の宝物
13歳の頃には もう既に鉄道に興味があったのですよね
それ以前からなのでしょうね

初めて撮影された 鉄道駅は 秩父鉄道 三峰口でしたね
確か 15歳頃でしたよね

今回のテーマの本題とは 異なりますが・・・
少年時代の鉄道ファンの風太郎様の面影を想像しています


[ 2014/10/24 06:11 ] [ 編集 ]

マスプロ大量生産の時代

りら さま

深く深く興味を持っていただいて有難うございます。
りらさんが生まれるずっと前の出来事ですから、なかなかピンと来ない事も多かったかも知れませんね。

今でこそ抽象的なイメージ広告は珍しくありませんし、これのどこが尖鋭的なのかと思われたかもしれません。
この当時はカラーテレビ、マイカー、エアコン、日本人が欲しがるものは共通していて、マスプロ大量生産の時代です。
広告と言えば性能や価格、商品の具体的な特徴ばかりに拘ったものがほとんどだったのです。
そんな時代背景を鑑みれば、このキャンペーンの特異性がご理解いただけるかと。

まあ、若いミソラで渋いローカル線好きではありましたね。
遠出したくてもなかなか行けず、悶々としていた思い出でもあります。
[ 2014/10/24 21:06 ] [ 編集 ]

懐かしい〜

そうそう、鉄に目覚めた1970年代前半から中盤にかけて、当時、残り少なくなりつつある蒸気機関車を追いかけて、中坊の分際で会津や北海道を旅した時、
降りた駅や列車交換などで停車時間がある程度あって、そこがスタンプ設置駅だと、
スタンプ帳片手に改札口で集印していました。
さしづめ今だと「スタンプ鉄」となりますでしょうか!?
「日本発見」、高度成長期の当時にあって、とても画期的な企画でした。
この記事を見てタンスの奥を調べてみましたが、後発の「私の旅スタンプ」は発見できましたが、「DISCOVER JAPAN」のものは今のところ見つからず…。
[ 2014/10/27 21:48 ] [ 編集 ]

専用スタンプ帖

32Count さま

風太郎は鉄への目覚めが遅く、気が付いた頃にはこのキャンペーンは終わってしまい、
「いい日旅立ち」の方が馴染みがありましたね。デザインを変えて「いい日旅立ち」スタンプもありました。
在り合わせのノートなどにペタペタ押していましたが、
後に「専用スタンプ帖」の存在を知ったものの、途中で変えるのも口惜しく、結局買わなかった思い出もあります。
そんな訳でいろんな所に無造作に押し散らした跡が残っております。
[ 2014/10/27 23:43 ] [ 編集 ]

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