追悼 高倉健  その3    「幸福の黄色いハンカチ」

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これまた有名過ぎるのでストーリーを語るまでも無し。いきなりラストシーンから。

武田鉄矢が運転する車がいよいよ倍賞が住む炭鉱住宅街に入って来る。

似たような建物が並ぶ細かい路地を右へ左へと。

ここに全ての「泣き」を集中させる映画だから、存分にもったいをつけるのだが、

そのお蔭で当時の夕張の町を手に取るように観察する事が出来る。

段々に整地された住宅地を結ぶ坂道や階段は、志幌加別川を囲む谷あいにへばりつくように広がる

夕張の風景そのものである。そして崩れかけた廃屋の風景も。

黒いダイヤの時代は遠い過去になり、隠しようのない衰退の波にさらされる町。

粗末な板壁の家々は決して豊かとはいえない暮らしを思わせるし、冬の酷寒はいかばかりかと想像させるが、

映画の画面を見る限り町に暮らす人の影は濃い。

衰退云々に関わらずそこを暮らしの礎と定めた人々の、つつましやかで赤裸々な生の匂い。

この映画の主役は健さんと倍賞、そして夕張の町そのものだったのではないかと思う。


数年前に夕張に行った。

町中にはためく黄色いハンカチには、「がんばろう夕張」の文字。

自治体の倒産ともいえる夕張市の財政破綻が表面化した後の事である。

破綻の原因となった乱開発の産物、「石炭の歴史村」や「レースイリゾート」の威容を眺めつつ、寂れた町を行く。

ラストシーンの炭鉱住宅セットは、「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」として保存されており、

内部には映画に使われた赤いファミリアが鎮座している。




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   「幸福の黄色いハンカチ想い出広場」   2008年 




この炭鉱住宅ロケが行われた場所は旧夕張鉄道の若菜駅のごく近くというが、既に鉄道は原野に還り、

その痕跡すら認める事は難しくなっている。

近くの夕張線鹿ノ谷駅の傍らには、かつて存在した夕張鉄道の大機関区の跡地が夢の跡のごとく夏草に埋もれていた。

9600をはじめ常に6~7両の大型蒸気が煙を上げていたという威容は多くの記録が残っており、

転載する訳にもいかないが「夕張鉄道 鹿ノ谷機関区」で検索してもらえれば往時を目の当たりに出来るし、

その変わりように驚愕するに違いない。




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  夕張線 鹿ノ谷   旧夕張鉄道 鹿ノ谷機関区跡    2008年



奥に見える二つ並んだ赤い屋根は、最大の遺構ともいえる旧機関庫。

その手前には大きなターンテーブルがかつてあり、その右側にはアメリカ西部劇に出てくるような巨大なコールタワーがあったはず。

これが都市部なら待ってましたとばかり再開発でも進むのだろうが、ただそのままに原野に還っていく様は、諸行無常の感を禁じ得ない。

風太郎がかつて訪ねた1980年代の夕張でさえ、その痕跡を追う事は難しい。「南部」と呼ばれた清水沢。

かつては広大なヤードを行き交うセキの轟音が響き、通学の高校生達の嬌声がヤマ行きの客車内に溢れていた。



この映画が作られてから40年近くになる。その歳月にあって、夕張は変わり果てたといってよい。

それは産業構造の変化、野放図な一地方都市の破綻というより、日本全体を覆う「地方の疲弊」の縮図でもあるのだけれど。

健さんと倍賞の家の中は、感想や願い事を書くという黄色いカードが所狭しと貼られ、真っ黄色である。

カードの数だけある人の想い。

過去は時代に押し流されても、互いに言葉足らずで不器用な男と女の、普遍の愛に心動かされる人の想いだけは変わらずと信じたい。


この映画は押し留めようのない時代の流れに翻弄される夕張という町から生まれた。

そして健さんが帰る場所は、やっぱり夕張でなければならなかったのだと思う。





三菱石炭鉱業 清水沢3 198402 take1b
   夕張線・三菱石炭鉱業鉄道線  清水沢    1984年

  (現在この駅は右端に見える夕張線ホームが棒線化され小さく残るのみで、その他は全て野原である。)




HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2014/12/05 20:43 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(8)

夕張

風太郎さま

この秋、初めて夕張の地を踏みましたが
説明されないと分からないほどかつての栄華は
土に返っていましたね。
移動中に所々、炭住や櫓そしてズリ捨て場が残り
往時を寂しく語りかけてました。
[ 2014/12/06 11:49 ] [ 編集 ]

夕張残照

狂電関人さま

ホテルレースイ前の棒線夕張駅は涙無しには見られません。
駅位置の移転に次ぐ移転で夕張線はどんどん短くなっているとか。
いろいろ考えさせられる場所です。今度行くならゆっくり回って見ては。
[ 2014/12/06 17:40 ] [ 編集 ]

風太郎さんならではの素晴らしい記事、涙しながら拝読しました。
[ 2014/12/07 06:24 ] [ 編集 ]

喪失感

はせがわ さま

それほどの記事でもありませんが有難うございます。
過去に大きな繁栄があった町は、廃れた時の喪失感も大きいですね。
一面の野原の駅跡を見れば、信じられないと同時に自分の青春の日々も遠くなった事を想わずにはいられませんでした。
[ 2014/12/07 10:35 ] [ 編集 ]

こんにちは

中学時代に石狩沼田から転校してきた友人がいました 炭鉱に勤めていたお父さんを亡くされ札幌に引っ越してきた、でもとても明るい女の子
同時期に夕張から来た男子生徒も同じクラスに転校してきました 
彼は卒業まで穏やかで無口でしたが クラスの子も彼のお父さんが炭鉱事故で亡くなられた事は察していました 
炭都からの転校生が多かった時期です 皆札幌の子よりも大人びて見えました いろんなものその胸ん中におさめてるんだろうなって

あの映画を見るたびに 自分の生活のシミをそこに見る子どもたち(もうすっかり歳をとりましたけれど)の気持ちも健さんの帰還とともにあったのではないかなと 思ってしまいます

[ 2014/12/08 09:47 ] [ 編集 ]

映画の記憶

Jamさま

1980年代の夕張の印象は高校生を始め元気な若い人が目立つ事で、
当時から年寄りばかりが目立ったローカル線でも異彩を放っていました。
炭鉱労働の危険作業と引き換えの高報酬は家族を養う上で魅力だったでしょうし、
相応な豊かさが彼らの活気の源でもあったのかも知れませんが、
既に当時から炭鉱事故の悲劇も繰り返されていた訳で、
あの屈託の無さはどこから来たものか、古い写真を眺めて物思うところがあります。
産炭地から都市部へのその後の極端な人口移動は近代史に例を見ない程ですが、
当時の北海道ではありふれた風景だったのでしょうね。

猥雑な程の活気と、ごく身近な所で死が繰り返される鎮魂が混然と折り重なって歴史を作った町が、
今原野に還ろうとしている事を目の当たりにすれば言葉を失いますね。
確かに存在していた時代を永遠に記憶に留める事も映画の役割と改めて思います。
[ 2014/12/08 21:41 ] [ 編集 ]

風太郎様

現在この駅は右端に見える夕張線ホームが棒線化され小さく残るのみで、その他は全て野原である・・・・・
このお写真をよく拝見してみました
この光景の殆どが原野のようになってしまっているのですね
右側に見えるのが石炭を積んだ列車ですね
駅舎とホームが離れていますね
ホームに積もる雪に驚きを覚えています
その雪のホームに向かい歩く方の姿が印象的です
この地を撮影したことは 現在では憧れの方へと結ぶことになっているのですね
一期一会を感じます

黄色いハンカチ レンタルして鑑賞しました
やはり最後の場面で号泣しました
 「幸福の黄色いハンカチ想い出広場のお写真
撮影して下さり有難う
感慨深いです
[ 2015/06/21 19:22 ] [ 編集 ]

失われゆくもの


りらさま

わざわざ映画まで見て頂いたんですか。それは有難うございます。
いわゆる昔風の「人情もの」で、現代の目からすれば気恥ずかしい程の直球一本槍な映画です。
映画の中の夕張の町は、りらさんの世代では時代劇のセットと大して変わらなく見えたかもしれませんが、
まさにその時代の夕張の息遣いに直に触れたおじさん世代としては、生々しいリアリティを画面から感じるのです。

失われゆくものを見送り続けるのが長生きの代償でもあり、それはやがてりらさんにもやってくると思います。
しかしモノや風景は失われても、映画が謳った人と人との絆の尊さがいつまでも続くものであれば、それは救いです。
[ 2015/06/21 22:05 ] [ 編集 ]

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