追悼 高倉健  その5    「八甲田山」

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1977年公開。初めて一人で見た映画かも知れない。

風太郎の親父が何故か新田次郎の原作本を持っていて、リーダーたるもの云々の講釈と共に貸してくれたので

結末も含めあらすじは全て分かっていたのだが。

青森第5連隊がほぼ全滅したのに対し、同じ条件下にありながら全員が生還した弘前第31連隊とのコントラストが

鮮やか過ぎて、リーダー論、組織論の対象となる事が多いが、今風に言えば途方もない爆弾低気圧の襲来という、

よくよく運が悪い条件下にあって仮に指揮系統の乱れが無かったとしても形勢が大きく変わったとも思えず、

結局民間の案内人のような現地情報を軽視する軍隊組織の驕りに主因があり、その点31連隊の方がいくらかましだった

という事のように思える。
 
冷静沈着に31連隊を率いる高倉健隊長だが、上官に指揮権を奪われた挙句、死地に追い込まれ、

「天は我らを見放した」の決めゼリフを吐く5連隊の北大路欣也隊長の方が中間管理職の悲哀と共に感情移入し易く、

主役を奪われた感はある。
 
しかし行軍シーンの撮影は当然ながら新雪に足跡を付ければ終わりだし、一発勝負の準備に時間を要し、

俳優の出待ち時間も長いものになったようだが、健さんは酷寒の中、立ちっぱなしで待ち続けたらしい。

有名な「座らない伝説」はそのあたりから生まれたのかと思うし、暖かい所に座ってしまえば気も緩み、演技にも出てしまうという、

健さん流のストイックな役作りのひとつだったのかも知れない。

健さんの老母は氷漬けのような息子を見て、「あんたもそこそこ有名になったのだから、もう少しましな映画に出させてもらえば」と言ったとか。

 
キャメラマンは木村大作。とにかく寒そう厳しそうな場所ではやたら元気になる風の人だからさもありなんと思うが、

それでもとてつもなくヤバい仕事だったらしい。

もともとアクセスなどの都合から、雪中行軍シーンは長野か群馬のスキー場で撮る予定だったらしいが、

「映画館のスクリーンには空気まで写る。その現場で撮らなきゃウソになる。」というスタッフの声(多分木村)に押され、

まさに遭難の現場でのロケになったとの事。

人家など全く無く、一切の交通手段も途絶えている厳寒の八甲田山中での撮影は、ミイラ取りがミイラになりかねない相当な危険を冒すものだが、

「空気まで写る」というあたりは、写真を嗜む者としてはうんそうだと納得するところである。

雪の降り方にしたって生ぬるい寒さのスキー場に降るボタン雪と、-30℃近くに達したという遭難現場の雪は全く違うのだ。


CGなど全くない時代、己の強靱な肉体のみで過酷な大自然と対峙した俳優と映画屋の執念が生み出した映画。

本物のリアリティに満ちたこの作品は今も色褪せない日本映画の金字塔のひとつと思うし、失われた200余名の命への鎮魂に相応しい。

健さんの死の直前に書かれたという手記で挙げられた最も思い出深い映画もまた、「八甲田山」である。


八甲田山の写真は無いので、十和田湖と奥入瀬渓谷の写真。

十和田湖まで登って来た弘前31連隊が湖岸を半周し、奥入瀬近くの宇樽部からいよいよ八甲田山中に突入したのは史実だし、

まんざら関係無くはないというところで。




冬の追良瀬渓流11992b

冬の十和田湖畔21992b
     奥入瀬渓谷  十和田湖      1992年  



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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2014/12/25 23:32 ] 日々雑感 | TB(0) | CM(6)

八甲田山

風太郎さま

我が倶楽部の冬場の撮影合宿にもお名前を頂戴した
「雪中行軍」訓練物語のこの映画、電関人は
健さん作品の中でも妙に好きな作品です。
先日追悼番組の中で語られていた話に、この
映画のロケだけは二度とやりたくないとの本人談。
それだけに現地で行われたこの迫真の映像が
できたのでしょうね。
しかし、そんな歴史のとば口に極寒のシーズンに
行っていたとは・・・酔狂すぎますね(笑)
[ 2014/12/26 11:18 ] [ 編集 ]

 こんばんは 初めてコメントします。
昔、岩木山登山後に酸ヶ湯温泉に泊まり八甲田山と八幡平に登りました。 
混浴の千人風呂と蔦沼そして美しいブナ林など懐かしい記憶です。
これからもブログ楽しみにしています。

[ 2014/12/26 18:39 ] [ 編集 ]

雪中行軍

狂電関人さま

映画の公開当時は写真道楽を始める前で、今見直すと「空気も写る」事の意味を改めて。
「雪中行軍」やりましたね~。
腰まで埋まる雪原に踏み込むのも若さゆえのカタルシスだったかも知れません。
今やったら翌朝が・・・・。

十和田や奥入瀬はU氏やM氏と一緒です。揃いも揃って鉄から距離を置いていた時期でした。
[ 2014/12/27 08:37 ] [ 編集 ]

奥入瀬あたり

岳人さま

初めまして。コメント有難うございます。
山岳写真への憧れは昔からあったのですが、単独撮影への拘りが強かったのと、
山知識・経験不足とのギャップが最後まで埋められず・・・。
岳人さんのパワフルな俯瞰撮影は昔からの鍛錬の賜物かと。
この時は蔦温泉に泊まりました。いいお湯でしたね。
今は鉄道に原点回帰しましたが、また改めて訪ねてみたい場所です。

今後とも宜しくお願いいたします。
[ 2014/12/27 08:45 ] [ 編集 ]

風太郎様

二枚目のお写真
右からの枝が海にその身を突き刺さんとしているかのようです
氷柱 海で見るそれに衝撃を覚えました
激しい寒さの地ならではでしょう
この光景とめぐりあえたことは自然からの風太郎様への歓迎ではないでしょうか・・・
自然の織りなす芸術作品 それをそのまま写真芸術とされています
感激しました


[ 2015/06/09 21:56 ] [ 編集 ]

厳寒の造形

りらさま

海のように広いですが湖ですね。火山の頂きに水が溜まるカルデラ湖ですので、標高が高く真冬は殊の外寒いのです。
木の枝に当たる波しぶきがそのまま凍り、折り重なって出来る、大自然の造形の妙です。
このような環境下で撮られた映画と思えば、画面の前の身も引き締まる思いです。
[ 2015/06/09 22:45 ] [ 編集 ]

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