北紀行  その14      山線残照⑨    蘭島

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   函館本線  蘭島      2015年2月





まずは下の写真から。

31年前にこの駅に降りたのは、隣の塩谷との間にある日本海の海原を望むポイントを当てにしての事。

もちろん「ニセコ」の通過時間に合わせての事だったが、ご覧の通りの猛吹雪とあっては当然諦める他なく。

駅に閉じ込められるも、風格ある跨線橋は絵になった。今まさに受け取られようとするタブレットも見える。

何で向かい側のホームでド迫力の高速タブレット授受を撮らんかなあと、何を今更の後悔が残る1枚。


31年越しの撮り直しをさせてくれるほど現実は甘くないのは分かっているが、タブレットなどとうに博物館入りだし、

そもそもそれを担いだ駅員も消え失せた。記憶の糸が繋がるのはこの跨線橋のみである。

せめてその時の本来の目的だった「日本海バックポイント」を探し、多分此処というのは見つけたが、

相当な雪中ラッセル、登山が必要と知って断念。



ここまで来れば「山線残照」もそろそろ幕引きだろう。

まだまだ撮りようはある路線だと思う。

しかし失われたものを数え始めたら、もはや出口のない諦念も必要になりそうだ。

現代に生きるローカル線の残り香として、そこにあるものを精一杯愛でるか。

それとも思い出の扉を静かに閉じて永遠とするか。

それは知らず年を重ねた今の、少しほろ苦い選択ではある。






函館本線 蘭島2  1984年2月 16bitAdobeRGB原版 take1b
   函館本線  蘭島      1984年  急行「ニセコ」





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「風太郎の1980年田舎列車の旅」

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[ 2015/03/02 23:45 ] 最近の旅 北海道 | TB(0) | CM(6)

風太郎様

1984年撮影
2015年撮影
同じ地ですね
跨線橋の青い屋根
それが2015年撮影では雪で白くなっていますね

現在ではごく一部のローカル線などでタブレット
使用されているのみのようですね
安全面だけではなく 画になります
以前は 鉄道のごく当たり前の光景だったのでしょうね
私は実際は見たことがありません
風太郎様のお写真が 私のそれの全てです

撮影の途中からも鉄道についての様々な
苦悩がおありになったのですね

私にはなす術とてありえませんが・・・・
せめて真摯な心と目でお写真拝見させて頂き 記事を拝読させて頂きますね
[ 2015/03/03 07:29 ] [ 編集 ]

山線

こんばんは。

雪を蹴散らすDD51重連ニセコ号、格好イイですよ!
確かに、タブレット享受も捨てがたいですが。

山線ほど、鉄道写真を趣味にする人を虜にした路線はないですね。
今となっては「つわものどもが夢のあと」状態ですが、
今回の風太郎さまの一連のお写真を拝見して、
まさにその残照を見たような気がします。

大いなる山線、この先の行く末は・・・
[ 2015/03/03 23:19 ] [ 編集 ]

見えないもの

りらさま

駅やら車両やら、鉄道の目に見える部分も大きく変わってしまいましたが、
目に見えないもの、例えば沿線住民にとっての鉄道の重要性やら愛着やら、また鉄道に携わる人の素朴な誇りやら自信やら。
それらが失われたとは言いませんが、何か大きな変質の波に洗われている気がします。
目に見えないものを含めた鉄道ワールドに魅せられ、永く被写体としてきた人間にとっては、
見える物が変わった以上に辛い所があるのです。
昔の思い出がある所に立てばそんな想いがいよいよ湧き上がるのですが、愚痴になってしまったかもしれませんね。

前向きに「次」を発見するエネルギーを奮い起こさねば。

[ 2015/03/03 23:28 ] [ 編集 ]

交通インフラ

いぬばしりさま

木造跨線橋も昔は当たり前過ぎてろくに写真も撮りませんでしたが、
今思えば木張りの床に駅の長い歴史が何層にも塗り込められているような気がしたものです。

魂が抜けたようでもカタチが今も残るのは確かに大幹線の最後の残照のように見えます。
交換設備は室蘭本線のバイパス用との噂も聞けばまた違って見えるところもあるのですが。

日本の片隅の、それぞれの幸せを育てるためにも交通インフラは守り伝えてもらいたいものです。

[ 2015/03/03 23:41 ] [ 編集 ]

こんにちは

蘭島は 子供の頃よく海水浴に連れて行ってもらった記憶があります
駅で降りて どのようにして海岸に抜けたかなどはもう記憶のかなたですが(だいたいもう40年前のことだし その当時なんだか蘭島あたりは道路の工事ばかりしていて雑な印象でしたし)夏になるととても賑やかな蘭島の駅でした 

山線は大学時代に友人たちとなんども気まぐれに旅をした記憶があります(それももう20年以上も前ですが)
大学のサークルの合宿(というなのお遊び)といえばこの沿線 当時のサッポロあたりの若者にとってはこのあたりは甘酸っぱいような苦々しいような(はじめてお酒といふものを口にした記憶とともに…)記憶の残る駅名の数々・・・かもしれません
このあいだうちの息子もここを列車で通り抜けたようです 息子と同い年の自分がいたとこを息子が写真撮ってるというのは何だか不思議な気持ちでした
[ 2015/03/04 00:22 ] [ 編集 ]

一世代回りつつ

Jamさま

ここの海水浴場の話は聞いたことがあります。
北海道になかなかそういう場所は無いのでしょうから、さぞや賑わった事でしょうね。

山線沿線も、札幌近郊のシティボーイやガールにとって身近なリゾートだったのかも知れませんね。
多分移動の足は山線だったのでしょうし、懐かしい駅があったなら幸いです。

30年前はつい昨日の事のように思え、一世代回りつつあるというのが信じられませんね。
かつて厳寒の一夜を過ごした音威子府の待合室に息子が立つ事になるとは夢にも思いませんでしたもの。
(駅舎は変わりましたが)

でも結局、全く違う生き方をする息子の姿もまた、そんなものなのかなと。
[ 2015/03/04 20:13 ] [ 編集 ]

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