わたらせ新緑遡行  その8      足尾より    再生

watarase20150427_1034take1b.jpg








山と渓谷社の古い写真集 「ローカル線の旅」 (初版1973年) を開くと、「足尾線」の稿に上の写真が出て来る。

撮影は1973年のようだが、銅山専用の終着、足尾本山駅からさらに奥に伸びた専用線を写したもの。

草木も生えぬが決して誇張では無い、鉱毒を含んだガスにより全ての植物が死滅し、まるで月面か賽の河原を思わせる風景。

「ローカル線の旅」だから風光明媚な写真ばかり並ぶ中で、それは異質に過ぎて戦慄さえ感じるのだけれど、

どこか見ておかなければいけない風景のように思えて、高校生の頃、初めての一人旅の目的地として画策した事がある。

結果は辿り着く前に疲れ果て、旅客列車も通らない本山から先まで徒歩で行く気力も無く断念。


それから30余年、クルマという利器を手にしたのは良いが、そもそも件の場所そのものが今でも存在するのか。



















watarase20150427_956take1b.jpg

     足尾     2015年4月   



間違いないと思う。

今も残る殺伐とした鉱山施設の間を抜けて、道路に立ち入り禁止の札が掛かるギリギリの場所。

そこは「親水公園」として整備され、「渡良瀬川源流の碑」が立つ。新緑が眩しい山々、水量こそ無いが光る清流。

逆の意味であまりに変わった風景に息を飲む。


相当以前から「足尾に緑を取り戻す」植林プロジェクトがある事は知っていたが、かつての写真の印象からすれば、

まるでドンキホーテのような抗いに見えたもの。

しかし営々と続けられた人々の努力と、旺盛な自然の生命力は過去を克服しつつあるようだ。

諦めない限り、取り戻せない過去は無い事を信じたくなるような風景。


やがて足尾は日本最大規模の銅鉱脈が発見される遥か以前、土俗的な庚申信仰が息づく大自然の懐へと還ってゆくのだろうか。





HPはこちら
「風太郎の1980年田舎列車の旅」

Copyright © 2014 風太郎のPな日々 All rights reserved


「ブログ村」に参加しました。ご訪問の際はポチしていただけると励みになります!
 ↓
にほんブログ村 鉄道ブログ ローカル線へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
[ 2015/05/23 20:57 ] 最近の旅 関東 | TB(0) | CM(6)

風太郎様

一枚目のお写真
山と渓谷社の古い写真集 「ローカル線の旅」大事にしておかれていましたね
記事にあるそれに関連するお話し「高校生の頃、初めての一人旅の目的地として画策した事がある」
自分の高校時代を思い 驚きと共に深い感動を覚えました
そして自分の高校時代を振り返り それらの半分さえ考えもしなかった自分に愕然とする程でした

二枚目のお写真
「やがて足尾は日本最大規模の銅鉱脈が発見される遥か以前、土俗的な庚申信仰が息づく大自然の懐へと還ってゆくのだろうか。」
人間は自然を容易く壊し 時が経ち それを後悔し 元に戻そうと模索します
それは長い年月がかかります
莫大な金銭と人間の英知と根気が必要です
それでも反省という心を今だ持ち得ていることに多少の安堵を感じます
でも起きたことは仕方がないとは思えません
一度損なわれた自然は完全に元に戻すことは出来ません
人間の果てなき欲望のために 今でも自然破壊はされています
それは地球環環境を大きく変化させる程になっています
今回の企画されたお写真の発信するものは大きなものだと信じています
多くの方に見て頂きたいお写真であり 読んで頂きたい記事です
有難う御座いました
[ 2015/05/24 08:43 ] [ 編集 ]

過去からの手紙


りらさま

公害の原点としての足尾の歴史は明治時代まで遡るのですが、それは遠い昔では無く、
つい40年程前に高度成長期が終了するまで、産業優先環境軽視の精神構造は変わらなかったのです。
風太郎の子供時代もその只中でしたから、そんな世の中に対する漠然とした恐怖は子供ながらに刷り込まれていたのかも知れません。
時は流れ、人間の英知で様々な形で過去を取り戻す試みは成功を収めつつもあるのでしょうが、
一方で原発をはじめ、人間が制御しきれない新たな脅威とも対峙しなければならないのが現代です。
目の前の豊かさと引き換えにしなければいけないものがある事をもっと知るべきですし、写真は過去からの手紙のようにも感じます。
[ 2015/05/24 12:07 ] [ 編集 ]

こんにちは。
撮影目的で植樹には2度ほど参加したことがあるのですが交通費その他当然自分持ちのうえ、参加費として1,000円支払います。
泥が付けてある苗木は結構重みがありそれを数本入れたレジ袋を持って急な階段を山の頂上近くまで登るのは年寄りにはかなりの労働でした。
はげ山がすべて緑に覆われるには200年かかるだろうと云われていますが、昨年秋、日光の帰りに寄ってみたらかなり植樹は進んでいるようでした。
一度冬に行ってみたとき日の当たらない厳寒の岩場で植樹のための岩棚を作っている人たちを見て衝撃を受けたことがあります。
失った自然の大きさを強く感じたものでした。

昔は林道の奥まで車で入れたのですが10年くらい前から通行止めになってしまいました。
車を広場のパーキングに入れてその先は徒歩なら入れます。
ただし冬場は松木沢を吹き下ろす強風で遭難しそうになったことがあるので止めた方がいいですし
夏場は熊がそこまで来たそうよと食堂のおばさんが話していましたのでやはり止めた方が良さそうです。
2年ほど前に世界遺産登録が却下されて負の遺産ともいえる精錬所跡は煙突を残して取り壊されてしまいました。
写真はたくさん撮ってあるので記録としては残りそうです。
[ 2015/05/25 10:57 ] [ 編集 ]

この風景

風太郎さま

この見開きの写真、その毒々しさ故よく覚えています。
そして、その写真のインパクトが電関人をこの線に近づかせなかったようにも思い出されます。
[ 2015/05/25 12:41 ] [ 編集 ]

時間と汗


はせがわさま

はせがわさんがプロジェクトの一員とは知りませんでした。さすがは行動力に溢れるはせがわさんですね。
険しい山中での植林のご苦労はお察しいたします。壊すのは一瞬ですが、取り戻すに要する時間と汗の膨大な量を想います。
こうして見ると随分復活しているようにも見えるのですが、まだまだ端緒と言う所なのでしょうか。
元の原始の森に戻すには100年スパンの気が遠くなるような歳月が必要なのでしょうね。

徒歩で最奥部まで訪ねるのもなかなか気合が要りそうですし、取り壊された施設も多いのでしょうが、
まだまだ記録に留めるべき土地だと思いますね。
[ 2015/05/25 19:38 ] [ 編集 ]

山渓カラーガイド


狂電関人さま

鉄道の写真集と言えばSL絡みしかなかった頃、何の変哲も無いローカル線や地方私鉄を活写した
「ローカル線の旅」「日本の鉄道」「日本の私鉄」等々「山渓カラーガイド」は貪るように読みましたね。
ああいった地道な取材で当時のささやかなローカル線の記録を残した事は特筆されますし、
その後写真の世界にのめり込んだ原点だったような気がします。

こういう異境を是非訪ねたいと風太郎はかえって食いつきましたよ。
[ 2015/05/25 19:46 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://futaro1980.blog.fc2.com/tb.php/937-799ff8e5