
信越本線 鯨波 2020年12月
時の宰相田中角栄かく語りき。
「上越国境、三国峠の山々を全て削り取ってしまえば新潟に雪は降らない。 」
「そこで出た土砂を何処に持っていくのかって? 心配は要りません。 それで日本海を埋め立てれば佐渡は地続きになる。」

ワイン 「越山 田中角栄」です。 目白の田中御殿近く、田中真紀子プロデュースのイタリアンレストランで購入。
真紀子さんご自身から 「はい、ありがとねっ。」 と受け取ったもの。 正月のお屠蘇代わりにいただきました。
結局佐渡は地続きにはならなかったが、大陸から押し寄せる荒波に対してそれは天然の防波堤になっており、
新潟の海岸線においてこの辺りは比較的波高が高くならないようだ。 それでも鉄の道は逆巻く波に洗われながら伸びている。


これらの車両がどれだけ有難いか知らないが、走ってくると風景が急に軽くなる気がするのはどうしてくれよう。
あら間違って中央線通勤快速が走って来ましたか、という風情だもの。
鉄道の比重を下げれば下げるほど重みを増す風景。

笠島
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信越本線 米山 2020年12月
「裏日本」は差別との憤りも分かるが、どちらが表か裏かはともかく、三国峠を境にがらりと様相を変えるのが関東甲信越の冬である。
特に今回は
地獄の一丁目のようになった関越自動車道を抜けて来ただけに、「向こう側」に無事着けばほっと一息でもある。
豪雪を恐れた計画ウヤで飯山線も只見線も当てにならない状況下、信越本線はさすがに「本線」。
とは言っても海沿いの鬼門である柏崎~直江津間、体ごと吹き飛ばされるような風と逆巻く波を浴びながら、よく走ってるものだ。
お誂え向きな天気に勇んでもうひとつの日本を辿ってみよう。 厳冬日本海、波高シ。

笠島

観音崎

柏崎刈羽原発
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銀箱買いました。
と言っても最近のトリテツ君たち、分からなかったりしないだろうね。 「アルミ製でハードな造りのカメラバック」ですな。
とにかくデカイんです。 全長42cm、全幅25cm、重さ3.4kg。 収納物を全部詰めたら12kgになりました。
おめぇ馬鹿じゃねえの、こんなの担いでテツやる気かという声はごもっともですが、
これは自宅では機材保管箱、いざ鎌倉の際は車のラゲッジにどっかり据えた前線基地という用途なんですね。
最前線では此処から小型バックに適宜必要な機材だけ移して出発です。
従来その用途に使っていた大型ソフトバックがボロボロになり、中身の緩衝材があちこちから飛び出してくる事態になって、
その後継という事なのですが、場合によっては飛行機の預け荷物にもなる可能性を考えると、なるべくハードなケースがいいかと。
此処からは回想モードに入りますが、風太郎の若い頃は「銀箱にあらねばテツにあらず。」という時代でした。
一度人に連れられて行った復活蒸気運転の際、ボックスシートのみならず、網棚、通路、あらゆるところを銀箱が占領していた光景が目に浮かびます。
それらはことごとくデコレーションされており、色とりどりなブルトレとか「エル特急」とかのHMステッカーはど定番なら、
英数字のステッカーを一枚づつ丁寧に貼った、「EF5861」とか。
ああ日本国有鉄道最後の日々は銀箱と共に在り。
そういう「属性」への反発を旨として、風太郎は天邪鬼にも銀箱そのものを拒否しておりました。
いやそれは詭弁であって、銀箱は高かったのと、全てが徒歩の撮影行にあってあの重さは耐えられないと踏んでいたのです。
で、使っていたのはボール紙の芯にビニールレザーの外皮を貼り付けたような、軽いだけが取り柄の安物でありました。
「踏み台に使える」という銀箱の利点だけは羨ましく、止むに止まれぬ場面でボール紙バックの上に乗ったらベコリと凹みました。
それから幾星霜、すっかり廃れて今や絶滅危惧種になった銀箱を今更買うのも相変わらずの逆張りモードですが、いろいろ感慨もあり。
どれ踏み台にしてみようかいと、天板に足を掛けたらじわりとたわんで、よく見たら「乗るものではありません。」との注意書きが。
最近のはヤワになったのか、いや昔と比べて4割増しの体重が悪いのか釈然としませんが、
リヤゲートの向こう、万年床の上にピカピカ光る存在感。 (寝る時は運転席に移動させます。)
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釧路湿原 2012年
先日「ハッセルブラッドクラブ」なる団体の風景写真展を見る。当然ながら銀塩フイルム使用のスクエア画面。
写真の内容がどうこうよりその解像や描写力が気になる。中判フイルム+ツァイスの描写を大プリントで見る機会も最近めっきり減ったからね。
半切位に伸ばされた写真を吟味するに、やっぱりフルサイズデジタルが勝ったなというのは、ついぞハッセルが買えなかった僻みとは別のところで。
フルサイズの描写はシノゴ級というのも頷ける。
それはともかく、正方形画面の端正さには改めて憧れる。
静的な写真に向いているとは思うけれど、落ち着きの中にも緊張感がある。 古寺の巧みに計算された空間演出にも似て。
縦横が無いというのは写真展の展示をイメージしても、分断が無く流れるようなストーリーを演出し易いと思う。
ニコンは何のつもりか1:1のアスペクトに対して冷淡だったけど、D850を買ってからようやく1:1を享受出来る事になった。
後でトリミングするのと、ファインダーで見たままとはやっぱり違うのだ。
スクエアフォーマットの風景写真と言えば、やはりそれを完成させたのは故前田真三さんだろう。
後の風景写真に多大な影響を与えたのは言うまでもないが、彼の使ったカメラ、レンズと同じものを用意し、
同じ撮影地に同じ季節に行って全く同じ構図できれいにコピーする写真の流派が存在するというのには驚いた。
「真似だ真三」と言うのだそうな。彼と同じ写真体験を共有したいという宗教的信者なのだろうか。
プロの風景作家にとってもスクエアフォーマットは何処か鬼門であるそうな。
真似だ真三とは一線を引くにしても結局それと比較されるのはたまらん、という事らしい。
風太郎はそういう他人の評価が気になる立場でもないし、前田さんも没後22年も経った。
そろそろ次の「正方形使い」が出ることを前田さんも空の上から願っているのではないか。
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只見線 郷戸駅前
明けましておめでとうございます。
本年も飽きずに拙ブログにお付き合い頂きますようお願い申し上げます。
どんど焼きならぬ「歳ノ神」。
ご多聞に漏れぬ過疎化・高齢化のなか、古来から受け継がれ新年の雪を紅く染める無病息災の神事も、
絶える集落が増えているが郷戸のそれは今も続いていると聞く。
かつてはムラのパブリックスペースだったはずの「駅前」が会場なのも佳し。
世を覆う疫病の不安からの解放を願い、邪気を払う炎の力を借りてみましょうか。
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