寒波襲来 只見線   その11     通学列車

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   只見線  会津坂下    2017年1月







会津坂下名物、登校ラッシュ。会津若松方面からの3両編成は満員御礼だったろう。

この風景だけ見れば少子高齢化も過疎もどこ吹く風かと思うのだが。

昔は近隣からの自転車通学や徒歩通学で生徒が充足されていたのが、

会津若松市など遠方からの通学が一般的になり、列車通学は昔よりむしろ増えているらしい。

いずれにしても絵的には雪が降り過ぎというのが想定外。








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「うへえっ、凄い雪。」

「ガッコ、休みなんじゃね。」

「もう引き返そう、引き返そう。」


雪国に生まれて雪は平気かと思えど、ヤなものはヤなのだろう。

温暖化の影響か、会津盆地も大分雪が少なくなったろうから、免疫も少なくなったか。







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残念ながらガッコはちゃんとやっている。

暮れなずめばまた、駅に賑わいが帰って来る。








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[ 2017/02/13 20:25 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(14)

寒波襲来 只見線   その10     歳の神

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     只見線 郷戸    2017年1月







郷戸駅前の昼過ぎ、一面の雪原にカヤを束ねた小山が出来ている。高さ5mは優にありそうだ。

これはいわゆる「どんど焼き」ですかね、と聞けば、まあそうだな、ここらじゃサイノカミと言っとるがなと作業中の人。


「いつやるんですか。」

「今夜だ。」




















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夜のとばりが降りる頃。

降り始めた小雪の中を懐中電灯を手にした人々が集まって来る。

火が点けられるとすぐに炎は高く上がった。

雪の中に埋まっていたカヤはすっかり湿っているから、果たして上手く燃えるものかと思っていたのだが。

小正月に正月飾りなどを焚き上げ、五穀豊穣、家内安全、無病息災を祈る神事は各地に伝わるが、

炎が雪を紅く染めるは北の地ならではだろう。

手に手に持つ長い枝の先に付けたものはしめ飾りか。それを炎に差し入れるは神との契りなのかもしれなかった。








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炎を囲む里の人々。はしゃぐ子供の声も聞こえて来る。

かつて駅はムラのランドマークであり、ハレの場でもあった。

そんな役割はいつしか失われていったが、年明けの祈りの場はやっぱり「駅前」なのだ。

火の粉が夜空に舞い上がるクライマックスを、駅は静かに見下ろしている。








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[ 2017/02/11 19:06 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(8)

寒波襲来 只見線   その9     大志集落

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   金山町 大志集落    2017年1月







巷の俯瞰写真ではシャッターを浴び続ける大志の集落だが、もっとこまめに歩いてみるべきだなあと思う。

静謐でしっとりと落ちついた雪国の暮らしの原風景が此処にある。


ちょっとしたアクシデントがあって此処の青年団(といってもややおじさんが入った青年だが。)にはお世話になった。

年寄りばかりの先入観とはうらはらに、生まれ育った土地に逞しく暮らす「青年」たちの情の篤さが心に沁みた。

分断以来、「只見線に手を振ろう」と町民に呼び掛け続けた金山町。

「ふるさと」の荒廃と消滅が全国で進む中、日本の片隅の幸せがいつまでも続く事を願わずにはいられない。








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    只見線 会津中川   2017年1月







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[ 2017/02/09 20:32 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(6)

寒波襲来 只見線   その8    会津中川

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   只見線 会津中川   2017年1月








その殆どが建て替わっている只見線各駅にあって、会津中川は奇跡の様に木造駅舎が残っている。

道路から少し引っ込んだところにあって駅舎に至るまでの参道というか、「間」があるのもいいのだ。

決して乗降が多い駅では無い。でも此処を使う誰かの為に道は作られる。









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夜の帳が降りる頃。

再び舞い始めた雪の中を、老婆がひとり降り立った。






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( 写真展漫遊録 )


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写真のテーマとしてやられたなあと思っているのは「自販機の写真」。

都会はともかく田舎に行けば滅多に見なかった1980年代とは異なり、現代ではどんなローカル駅の入口にも鎮座しているし、

それは被写体として決して歓迎したいものでは無かったから、何処かへ動かしてしまいたい位なのだが。

それでも健気に自販機は立つ。街の片隅の暗がりに。こんな所にまでと驚くような大自然の只中に。

その妖しい明かりは都会の孤独の象徴でもあれば、此処にも人間の息遣いありと訴える一灯にも見える。

毛嫌いするもんじゃなく、撮ってみるもんかと思った時には先を越す人が居るんだな、これが。

コニカミノルタが閉館になって大分寂しくなった新宿界隈ギャラリーシーンの一角を担う、新宿エプサイトにて。





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[ 2017/02/07 19:45 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(6)

寒波襲来 只見線   その7    インフラ

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   只見線 滝谷   2017年1月








昼間などは単行一両で充分なのが現在の只見線の寂しい現実ではあるけれど、此処のヨンマルは常に2両以上で走る。

時に豪雪をその重量で押しのけるような走りも要求されるこの線区で、それは必然なのかもしれなかった。

省エネ軽量構造の最新型も良いが、様々な風土と共にあるこの国の鉄道には時に重々しい車両も必要だろう。










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     会津坂下







夜も更けた宿。外は猛吹雪である。

「どこトレ」を見れば会津川口行き435Dが宮下で、437Dが坂下で、それぞれ立ち往生している。

30分、60分、無情に増えていく遅延時間。

下り最終とその一本前の両列車は会津川口に駐泊、それぞれ明日の上り始発と次発を務める。

つまり今夜途中で運転打ち切りなら明日朝の2本も自動的にウヤという事だ。

その後の事は知らない。ロケに出ると早寝早起きの風太郎はすっかり眠くなった事もあるが、いわゆるフテ寝でもある。


翌朝未明、未練がましく「どこトレ」を見て驚く。何と2本共川口にいて発車を待っているではないか。

深夜あの吹雪を突き、遅れまくりながらも2本の列車は走り切ったのだ。

途中まで走ってしまった以上、どうしても届けなければならない乗客でも居たのだろうか。

「駐泊」の事情を考えれば乗務員の睡眠時間等、無理があった事も想像出来るだけに。

なによりタフな旧国鉄型の面目躍如でもあろう。









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    早戸







会津川口の発車前。運転士と車掌が「さあ気を付けて行きまょう!」と声を掛けあう。

その土地にあるべき車両とそれを操る人々の使命感。インフラがインフラであるために。








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   会津川口








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[ 2017/02/05 18:09 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(6)

寒波襲来 只見線   その6     雪雲の狭間

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    只見線 会津川口    2017年1月







拍子抜けするような青空。

大寒波は何処へ行ったのかと思うが、一点俄かにかき曇れば再び吹雪に閉ざされるのも雪国の日常である。

雪雲の狭間に家々の干し物も満艦飾なら、キハの足取りも今日は軽やかだ。






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   金山町  大志集落



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   会津中川  






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[ 2017/02/03 20:20 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(8)

寒波襲来 只見線   その5     滝谷の夜

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    只見線 滝谷    2017年1月






吹雪の向こう、夜のホームを除雪する人が微かに見えた。

「大変ですねえ、ご苦労様です。」

「いやなに、慣れた仕事だからの。それよりあんたも好きで撮ってるのかね、それとも仕事かね。」

「まあ、ルポルタージュの取材ってとこですかねえ。( と答える事にしている。) 」

「そりゃあ変な格好は出来ないの。」と笑う。








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話好きな人だった。今夜は柳津温泉に泊まると言うと旅館名を聞き、「あーあそこは汚い割にそこそこ高いな。」

「次に泊まるなら◯◯屋がいいよ。汚いのは同じだけど値段相応だ。滝谷駅で雪かきしてたおじさんがそう言ったといえば分かる。ハハハ。」



「せっかく雪かきしてもまた雪が積もっちゃいますね。」

「いやいいんだよ。こうして夜かいておけば明日の朝が楽だからさ。」







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ひと仕事終えたおじさんが引き揚げた後、雪はぴたりと止んだ。

闇から現れた下り列車が、低くこもった轍を響かせて再び闇の中へと消えていく。











(写真展漫遊録)



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オリンパスギャラリー東京に「国境鉄路」を見に行く。

戦前、朝鮮・満州間を隔てる川には7本もの鉄橋が架かっていた。言わずと知れた大陸政策の遺構である。

その後ソ連の満州侵攻や国共内戦、朝鮮戦争といった大陸を覆う混沌の中でそれらは破壊され、また再建され、

あるものは往時の姿を未だ留め、あるものは破壊されたままの残骸を晒す。

今は中国・北朝鮮国境地帯の、緊張感に満ちたルポルタージュである。

聞いただけでヤバそうなエリアに腰を据えた取材だけで感嘆ものだ。

作者の小中直人さんは中国大陸の蒸気機関車撮影のオーソリティとして有名だが、その経験の蓄積あっての仕事だろう。

話を伺えば全部の写真は中国側から撮ったとの事。北朝鮮側は「誰一人入れない」ゾーンだという。

厳寒の国境は川も土も凍りつき、冷たい鉄の構造物は霧とも煤煙ともつかぬ霞の中に浮かび上がる。

そこに住んでいる人でさえごくまれにしか見ないという、謎の国境越え旅客列車が行く。

個人の甘えなぞ立ち入る事を許さぬ、冷徹な国家と国家の境界の真実。

タイトルバックのか細い単線鉄橋は、最後の訪中に向う金正日の乗る専用列車が極秘裏に通過した。正面に立つのは北朝鮮側の歩哨。

北朝鮮の命脈を繋いでいるとも言える対中国間の物流の7割は今もこれらの鉄橋に支えられているという。

「鉄は国家なり」。 鉄で出来た路もまた、ここでは国家そのものである。


久々にガツンと来る「鉄道写真」を見た。

風太郎のルポルタージュのなんとヌルい事よと自己嫌悪にも陥るが、必見。







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[ 2017/02/01 20:01 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(8)

寒波襲来 只見線   その4     夜へ

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   只見線 会津坂本    2017年1月








雪の色という奴は結局何色なのだろう。

蒼く染まった雪原がいち日の終わりを告げる。









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   会津坂下






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[ 2017/01/30 21:29 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(4)

寒波襲来 只見線   その3    観光資源

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    只見線 早戸   2017年1月







最近では早戸温泉「つるの湯」が只見線訪問の楽しみとなっている。

地元が運営する日帰り温泉なのだが、自炊棟を備えていて一応宿泊も出来る。

ここの良さは何と言っても泉質で、正真正銘の源泉掛け流し、ナトリウム泉でもともと湧出部では無色透明ながら

空気に触れると一気に酸化するのか茶色を帯びる辺りに温泉の「鮮度」を感じるところだ。

よく温まる湯で、吹雪に荒れる露天風呂だってじっくり体を温めてから飛び出せば全然平気である。


もともとあった温泉旅館が閉められてからも相応の投資も含め大切に守り育てられてきた湯は、

そこらの「スーパー銭湯」なんぞとは次元が異なる地元の宝である。

いやこれを只見線の観光資源にしない手はあるまい。早戸駅は目の前なのだ。








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   早戸温泉 つるの湯







只見線は温泉街道でもある。この他にも宮下、柳津、西山、不通区間にだって湯倉、大塩、滝沢といった素朴な味わいを残した湯がある。

雪深い山の湯の情緒は世界を相手に出来るはず。

下の写真、早戸温泉の川向うに霞む「三更集落」は先日NHKの「新日本風土記」に出ていた。

度重なる災害に集落全部の移転を余儀なくされつつも只見川の川辺を離れなかった人々が、

かつてあった素朴な渡し舟を観光用に復活させようと立ち上がる様子が紹介されていた。

只見線、本当に復活するなら観光は大きなキーになるに違いない。

つまらない媚びではなく、これまで守り育ててきた「資源」のありのままに自信を持って次の時代を拓いて欲しいと思う。








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[ 2017/01/28 19:39 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(8)

寒波襲来 只見線   その2    雪魔

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   只見線 会津川口    2017年1月







日本海側を襲う大寒波に只見線魚沼方は早や全面運休の悲報。

会津方は遅れ遅れながら何とか踏み止まる。

分断された只見線の一方の終着駅会津川口には除雪用のモーターカーが待機して出動に備えていた。

これまで例年より雪が少なかったと聞く沿線は、いよいよ雪魔との戦いの季節を迎えた。







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   会津川口







「今や何処の家も車を持っている。鉄道など当てにされていない。」という論調が、

少なくともこの季節を迎えれば的を得ていない事は現地に立てば分かる。

全てを白く覆い尽くす吹雪は道路と両脇の雪の壁の境も曖昧にし、凍てついた路面はタイヤのトラクションを奪い去ってしまう。

雪国に住むゆえの慣れもあろうが、だからこそ知っている怖さもあるに違いない。

酔狂な風太郎はともかくとして、この状況下の車による長距離移動は危険である。

ましてや福島新潟県境の冬は人跡が絶えた真の秘境となるのだ。

それでも鉄道は要らぬというなら、長い冬の間、通勤通学をはじめこの地域の経済活動は多くの危険を冒すか、ひっそり動きを止めるだけだ。









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   会津川口






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[ 2017/01/26 23:26 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(2)

寒波襲来 只見線   その1    豪雪街道

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   只見線  会津川口    2017年1月







「今週末は数年に一度の大寒波がやって来ます。大荒れの天気に警戒・・・・」 と、天気予報。

おいおい、昨冬信越本線筋に入った時は「十年に一度の大寒波」だったぜ。

道東に行けば北海道そのものから脱出不能になりそうだったし、やっぱり風太郎は嵐を呼ぶのか。


「最低気温は氷点下8℃。」 とか聞いても、厳寒期の北海道でマイナス20℃オーバーの修羅場を踏んでいる身からすれば

暖ったかいじゃないと意に介さぬし大雪もむしろウエルカムながら、泣く子も黙る「ウヤ」ラッシュには勝てぬから

一時は真剣に延期を検討したものの、既にスケジュールに隙間は無く。


ままよ、動かなかったら一日温泉で雪見酒だいと、予定通り只見線会津口に2泊3日ブチ込んだるわ。







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ダダ遅れのローカル線撮影の必需品と言えばJR東日本の「どこトレ」だ。

まあ酔狂な鉄ちゃんなんぞもとより想定外なサイトだろうが。

列車の居場所がリアルタイムにプロットされるとは夢のようだ。

今回ばかりは全面的に頼んだぞ、どこトレ。

しかし「魚沼側」に行かなくて良かった。こちらは丸3日間、完膚無きまでにウヤだ。


昼も夜も、音も無く降り積む雪。





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   会津中川







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[ 2017/01/24 21:15 ] 最近の旅 東北 | TB(0) | CM(11)

旅のたまゆら   三十四

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   大井川鐡道  家山    2014年








行先が見つからないなら何処に帰りたいかを問え。









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[ 2017/01/22 19:11 ] 旅のたまゆら | TB(0) | CM(6)

旅のたまゆら   三十三

鹿児島交通 窓  1982年8月 16bitAdobeRGB原版 take1b2

    鹿児島交通   1982年







長い旅に必要なのは大きなカバンじゃなくて、口ずさめる一つの歌さ。


                         by ムーミン谷のスナフキン









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[ 2017/01/20 21:11 ] 旅のたまゆら | TB(0) | CM(6)

しまんと雨情  その8   雨止まず 

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結局2日間の予土線ロケはひたすら秋雨にたたられた。

中途半端に曇る位なら雨の方がと思っていたので、そういう意味では恵まれたというべきか。

大河の風景に湿った大気感は似合う気がするけれど、沿線の観光ポスターに踊る快晴の川景色を見たくないといったら嘘になる。

光溢れる季節の四万十にまた来ようかな、「新幹線」をパスして空いた時間で支流の奥まで踏み込んでみようかな、と「次」を夢想するのもまた佳き哉。


暮れなずむ谷にまた雨雲が下りて来る。




(  しまんと雨情  おわり  )





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   予土線 土佐昭和   2016年








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[ 2017/01/18 20:03 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

しまんと雨情  その7    大河と共に

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   予土線 半家   2016年







四万十の流れを車窓の右へ左へと臨みながら県境をゆく。







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    長生沈下橋





名物とも言える「沈下橋」は流域に47箇所もあり、それは立派な生活道路でもある。

大水が出たら水中に潜ってやり過ごす橋だから水の抵抗を避けるためガードレールなどは設けない。

車で渡ってみれば車幅ギリギリの橋であるからハンドルにしがみつくようだ。(途中でドアを開けたら真下は水面だ)

昼間ですらそうなのだから闇夜の通行など想像もつかない。

実際夜間、川に転落という事故はままあるらしい。その場合まず助からないとの事。

決して安全なものでは無い沈下橋は、大河と共に暮らす人々の自己責任と共にあるという事だ。

いや責任云々などという野暮な理屈でも無かろう。

自分の身は自分で守る、誰のせいでもないという至極当たり前の節度が川辺に古来続く暮らしの風景を残した。






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    十和付近





沿線は台風銀座だ。大河も穏やかな表情ばかりではあるまい。

それでも自然と折り合いを付けつつ、暮らしも鉄道も営々と歴史を重ねた。






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    予土線 打井川   2016年






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[ 2017/01/16 23:08 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(2)

しまんと雨情  その6    峰集落

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    四万十市 峰集落     2016年






霧に霞むマチュピチュもどきの集落がどうにも気になったので山道を登ってみる。

その土地にどんな謂われがあるのかは知らない。

ただ四万十の山霧川霧に抱かれ、静謐に刻まれる時間がそこに在る。







予土線 半家 峰集落 2016年10月_11027take1b

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予土線2016年10月_11021take1b







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[ 2017/01/13 21:26 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

しまんと雨情  その5    最後の清流

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    予土線 半家    2016年







「最後の清流」「日本三大清流」、四万十川を讃える枕詞は数多い。

もともと古くから「渡川」という地味な名前で呼ばれていたが、旅番組の題材を求めるマスコミや

観光に活路を見い出したい地元にとってはある種の神格化が必要で、

別の通称だった「四万十川」という風格のある名前に国交省の正式名称さえ変えさせたのは、観光資源としての演出でもある。


実際に行ってみればあっけない程平凡な田舎の川である。

四国の最長河川の割には本格的なダムが無いというのは本当だが、その水質は科学的な分析では取り立てて高質という事でもないようだ。

流域では結構最近まで生下水が直に放流されていたらしいし、「最後の清流」はマスコミが振りまいた幻想と言えなくもない。

しかし川の名誉のために敢えて言えば、四万十川の本領はむしろ「支流」にある。

豊富な湧水に恵まれたこの地では数多くの支流が形成されその清冽な流れは途中から次々と本流に合流する。

川本来の自浄作用が機能している証しとして天然のアユ、ウナギ、テナガエビ、川海苔等を産し、

現代にあっても川漁で生計を立てる人が日本有数に存在するのもまた事実である。


人間達が後付けした評価がどうであれ命を繋ぐ糧を恵み続けた流れは泰然自若に滔々として、

それは「母なる川」と呼ばれるに相応しい。


雨粒が波紋を開く川面に魚影を求めるサギ。

存在を消すように静止した優美なS字の首は、その瞬間を待つ張りつめた生命のかたちでもある。








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[ 2017/01/11 23:36 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

しまんと雨情  その4    嵌入蛇行  

予土線2016年10月_10993take1b

   予土線 十和   2016年







もともと平地をゆったり流れていた川が土地の隆起等地殻変動で標高差が発生し流速が増した結果、

激しい浸食作用により山を深く刻む、すなわち嵌入するような蛇行を形成することがある。

四万十川は典型的な「嵌入蛇行」の流れなのだという。


川は基本的に等高線に沿って流れるもので、それは鉄道も同様だから多くは川に寄り添いつつ走るものだが、

Rが小さい四万十の蛇行という事情に加え、近代土木技術が注がれたローカル線である予土線は、

気前よく作られたトンネルや鉄橋によりあっさりと蛇行をショートカットしていくのだ。

なにしろ本数が極少だからつい「追っかけ」の誘惑にも駆られるが、これは止めた方が良い。

車が大回りしている間に敵は一直線に駆け抜けていくから、数駅追ってもまず追いつけない。


つまり予土線はこの地域における最速の交通機関なのだ。

しかしそのスピードに意味が与えられていないのが何とも残念な現実なのだが。


両岸に控えるトンネルの間を風の様に通り抜けてしまうから、瞬きすらも緊張する。

厚く垂れた雨雲の下を。








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[ 2017/01/09 19:18 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)

しまんと雨情  その3   三兄弟

予土線2016年10月_11095take1b

   予土線 土佐昭和   2016年







予土線は純観光列車の「しまんとトロッコ」をはじめ、沿線に某キャラクターメーカーのショールームがあったりする関係で、

珍妙なキャラクタートレインが名物になっている。名付けて予土線三兄弟。

上の写真の「トロッコ」は定期列車以外にプラスアルファで走るものだからまだ良い。

しかし定期列車のスジにどっかり座るものと来たら・・・・・・





こんなのだったり。



予土線 土佐大正 レールイベント2016年10月_11059



こーんなのだったり。



予土線2016年10月_10867b




(`Д´) ムキー!!!




事前リサーチをしていたら 「のどかな山の中をのんびり走る新幹線も趣がある。」 との怪文も目にしたが、

そもそもこれは栄光の0系に対する冒涜じゃあないのか。

下のケバケバしいのは四万十川に住むカッパをイメージした「かっぱうようよ号」との事だが、

普通ならタイフォンを鳴らす発車時に「ギャオギャオッ」と叫び声が響くので驚いたら「カッパの鳴き声」との事。・・・・・・・・。

撮影可能時間帯に走る超貴重な定期列車9本のうち、「新幹線」が3本、「カッパ」が2本という鬼運用に茫然となれば、

そもそも予土線は撮影対象外となるはずであった。


しかしである。天は風太郎に味方した。何と「新幹線」が運用に入らないのだ。

その心は、まさに撮影日となる土日両日において土佐大正駅構内で開催される「レールまつり」の展示車両として留置されるため。

ピンチヒッターには通常のキハ32が運用に入る。「カッパ」はそのままだが、2本限りだし、まだ誤魔化しが利きそうだし。

この天祐に運命を感じて予土線撮影行は決定したのである。






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[ 2017/01/07 23:32 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(10)

しまんと雨情  その2    最後のローカル線

予土線2016年10月_11051take1b2

    予土線 半家   2016年







「伊予松山というのは領内の地味が肥え、物実りがよく、気候は温暖で、しかも郊外には道後の温泉があり、

すべてが駘蕩としているから、自然、ひとに闘争心が薄い」 


 ( 司馬遼太郎 「坂の上の雲」より )



と評される伊予の民も、幕末にあたり後先をあまり考えずに佐幕派に回ったが故に朝敵とされ、

土佐藩兵の進駐・占領を受けた事は憤懣やるかたない汚点であったらしい。

その恨みつらみが尾を引いた訳でもあるまいが、狭い四国島内など簡単に鉄路が一周してしまいそうなところ、

愛媛・高知の両県を結ぶ鉄道の実現だけは昭和の終わり近くまで待つ事になる。

1974年全線開通、ある意味歴史上最後に作られたローカル線、「予土線」である。


1970年代に至り地方ローカル線の矛盾は誰もが分かっていたにも関わらず、全国各地で営々と建設が進められていたのは、

容易に方向転換が出来ないお役所仕事の典型でもあれば、政治的利権の産物とも言えよう。

もちろんその開通は永く陸の孤島であった沿線住民の悲願ではあったろうが、

四万十川本流とぶつかる江川崎以遠の建設は容易では無く、膨大な時間と巨費が注がれた。


予土線各駅を見れば「貨物ホーム」がその痕跡すら無い事に気付く。

実際予土線の貨物輸送は当初からほぼゼロであり、あらゆる鉄道の根源的な建設目的だった貨物物流は最初から放棄されていたという事だろう。

線路も簡易線規格が主体となっているようだから、高速の優等列車なども全く想定外だったのではないか。

本来なら1980年に決定された「特定地方交通線」のひとつとして廃止対象になってもおかしくは無かったのだが、

さすがに開通から6年しか経っていない路線を廃止という訳にもいかなかったのか、「沿線道路の未整備」を理由に対象から外された。







予土線2016年10月_11053b








予土線はそれが生まれた時から鉄道交通政策の歴史的な矛盾を背負い続けて来たのかもしれない。

しかし流れた月日は既に42年。二本のレールは四万十川の恵みの上に営々と築かれた風土と、いつしかひとつになった。








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[ 2017/01/05 21:06 ] 最近の旅 西日本 | TB(0) | CM(4)